臨江閣茶室と今井源兵衛 を読んで

 

私はお茶(茶道)もやらない、俳句もひねらない無粋な人間ですが、お~いお茶(伊藤園)は嗜み、暇つぶしに駄洒落の川柳は一句する。何故臨江閣の本に魅かれたかと言えば

私の御幼少の頃、住んでいた前橋の実家が臨江閣に近かった。決して遊び場ではなかったが

ずっと昔は大手町の公民館の役割をしていた。何度かあの二階の広~~い座敷に上がったことはあったが、同じ敷地内に茶室があるとは知らなかった。本館の横に別館があるのは

知っていたが、わびさびなのかどこに茶室を隠していたんだろう。

 

群馬県にも迎賓館に相当する建物が必要と明治期「臨江閣」が出来た。

その県民に対するお礼として県令楫取素彦と職員が自費で同じ敷地内に茶室を建てた。

大工は丁度「星岡茶寮」を作り終えたばかりの著名な宮大工今井源兵衛だった。

 

今井と楫取とは家が近かったから交流もあり、できたばかりの星岡茶寮の会員でもあったので、今井の技術が逸品であることを知っていた。今井は当時有名な大工で皇室系の

建物も請け負っていた。一条侯爵邸、有栖川宮本殿、赤坂離宮正門、皇居造営、

細川侯爵邸,芝離宮、東宮造営・・・・・etc

然し不幸にして仕事の時の怪我が基で化膿し、毒が回って63歳で亡くなられた。

倅が今井家の代を引き継いだが、悪い輩に引っ掛かり、今井家の宮大工家系は消滅してしまった。今井源兵衛の資料は少ないのだが、この度茶道に詳しい「岡田悠江氏」が一冊の

本に纏めてくれた。お陰で臨江閣の歴史を知ることができた。臨江閣の茶室は四畳半で窓を開けると利根川が見え、浅間山や妙義山が望めたそうだ。そのように設計したのは楫取素彦と言うより今井源兵衛だったようである。今井の茶室作りは千利休のような茶に集中するように締め切った空間ではなく、銀閣寺を建てた足利義満が建てたような風景が堪能できるような茶室であったそうな。今井が同年建てた星岡茶寮も茶室があるだけではなく、謡曲や琴、囲碁、日本の文化を楽しむ施設であった。かの料理で有名な北大路魯山人も腕を振るっていた。惜しいかな星岡茶寮は戦災で焼失したが、臨江閣の茶室は戦災を免れた、だから

職人今井源兵衛の仕事は国重要文化財として群馬に残っている。

 

 

 

 

画像>当初は臨江閣付属茶寮と言ったが、今は楫取素彦の雅号から畊堂庵(こうどうあん)と言っている

 

 

 

 

 

 

 

動画>blog作成中臨時ニュースで「いしだあゆみさん」死去のニュ―スが舞い込んだ。彼女のファンだったので残念に思うと同時に哀悼の意を表して♪彼女のヒット曲を流します。🙏合掌