フランス映画「私がやりました」を観て
フランス人ってこういう喜劇のような成金至上主義のような
ストーリーが好きな感じ。時代背景は世界恐慌真っ只中、
1930年代好き者大物プロデューサーに言い寄られた
無名女優があわやと言う瞬間に逃げられたのだが、なぜか大物
プロデューサーは殺されていた。パリでアパートシェアしている
女弁護士に怪しまれているのなら、いっそ「私が殺りました」
ということにして裁判を争うと言うことになった。中居君の
ように「私が遣りました」ではなくて和歌山のドンファン
容疑者のように「私が殺りました」でもない。
タイトルは「私がやりました」と言うひらがな明記で
ハチャメチャドタバタ裁判映画になっている。
1930年代パリで舞台戯曲が評判を呼んだと言う
オマージュである。私は殺してないのに、やりましたで
無名女優が同情を受け、陪審員、裁判官、国民に絶大の人気
博したから、一夜で金持ちになった。するとホントに
私が殺りましたはずの老有名女優は面白くない。
大金を得た二人にゆすりに掛け、自分も真犯人となれば
昔と同じようにカムバックできるかもしれない。そこでまた
女弁護士が考えた戯曲が奮っていた。要は女性賛辞であり、
権力を持つ男の断罪である。
画像>ポスター
私が遣りましたと関西の漫才師の一人はほのめかし、私が殺りま
したとは口が裂けても自白はしない。状況証拠だけでは
罰せられないことを角も承知している容疑者。真実は何処にある
のか?この映画の最後にモンフェラン殺人事件に新証言が
出たと言う記事が新聞に掲載されたと幕が閉じる。三匹目の?
泥鰌が?フランスだからトリフを探す豚公が登場?
何だかフランス映画を観ていると、アランドロン演じた青年の
ようにどん底から這い上がる貧民がヒーローになる悪徳映画が
お好みのようである。
動画>

