DVD「真珠湾からの帰還」を観て

 

12月8日未明は日本軍が真珠湾に奇襲して、日米決戦が始まった日である。

 

 

我々戦後生まれは良くは知らないけれど、多くの国民は狂喜乱舞したとある。

 

 

然し戦争を始めた当人でも、この戦争に勝ち目はないと思っていた軍人は多くいた、奇襲を計画した山本五十六元帥だってその一

 

 

人である。然し時流は

 

ドンドン戦争へと邁進していった。私は「軍神」と言うのは長らく、戦闘機で

 

アメリカ戦艦を撃破した飛行隊のことを言っていると思っていた。然し

 

この映画を観ると12/8の当日特殊潜航艇も5台真珠湾目指していたとある。

 

10人全員死亡、然し一人だけ米軍に捕虜となった少尉がいた。戦後を生き延びたその軍人の話である。日本兵の多くは「生きて

 

 

辱めを受けない、捕虜になる前に自決する」

 

軍人規律にあった。坂巻少尉は死にそびれてしまったのである。潜航艇

 

 

乗組員が出発前に撮った記念写真は坂巻少尉(青木崇高)だけは白く消されていた。

 

 

仲間は死んで靖国神社に祀られた。一緒に潜航艇を稼働させた部下も米軍に爆破され、海の藻屑と化した。波打ち際に流されて坂

 

 

巻少尉だけが生き残ったのである。米軍の捕虜扱いは日本軍と違って非人道的ではなかった。ケッコー自由はあったし、無理強い

 

 

も少なかったようである。死ぬ事ばかり考えていた坂巻少尉も日本軍捕虜が

 

ドンドン施設に来るようになると無駄死にはしないよう、部下を諭すように

 

変心する。終戦後潜航艇乗組員が訓練した愛媛・三机に行ってみると宿屋の娘(蓮佛美沙子)が

 

良く帰ってきたと喜んだ!仲間は皆死に自分一人だけ生き残った虚しさ。

 

坂巻少尉は少年のように号泣するのだった。でもこれでよかったのだ。

 

優秀な人は戦後日本の復旧に寄与した。そうでない人ばかりが日本に残っていたら、戦後日本の目覚ましい発展はもっと遅延した

 

 

はずだ。元々勤勉で一本気な民族だから、世界で稀に見る復活を遂げたのであろう。70年代の輝かしい

 

 

経済復興精神はアメリカンナイズされた戦後生まれ以降の我々にはないが

 

 

物騒な世界情勢の中に没入してきて、そろそろ目覚めないといつ侵攻されてしまうか分からない危機感を近年肌で感じる。見えな

 

 

い恐怖聴こえない戦慄が迫ってきているかのような・・・・・・・。

 

 



画像>この人は本を出版したので存在が知れた。

 



 

画像>読売新聞では戦後80年と言う節目で12/8前後特集記事を掲載した。

石油と鉄が無くては戦争にならなかったことがデータで示される

 

 



 

二度と戦争が起こらないことを祈る他にない、プーチン、金正恩、習近平、お陀仏間近、来年はトランプ、韓国為政者出没、後継者が似たようなものがでてくるか?いやな時代になってきたものだ。