『マイトガイは死なず―――小林旭回顧録』を読んで
♪「ダイナマイトが百五十屯♪」を歌った小林旭もそろそろ年貢の納め時なのか?
生い立ちや人生を語った(芸能70周年)本が出版された。日活映画隆盛の頃
小林旭はマイトガイと言われ、双璧の石原裕次郎がタフガイ、
三本柱で夭折した赤木圭一郎がクールガイ、二谷英明は何故かダンプガイ、
和田浩がヤンチャガイ、もう一人頬の腫れぼったい悪役のような宍戸錠は
「俺には×××ガイはないのか?」と言うので付いた「ガイ」が
「モンダイガイ」と言う笑っちゃう話も合った。皆日活の黄金期を支えた
ヒーローたちである。この書には大部屋俳優だった小林旭がひょんなこと
から主演になる経緯が書かれている。特に「渡り鳥シリーズ」は封切られると毎日
満員御礼で傾きかけた日活を石原裕次郎と共に支えた。ギャラ1本500万の
時代(昭和30年代)キャッシュでマネーを受け取り、その日のうちに使い果たす。
無頼のような(飲む、打つ、買う)日々だった。
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本には今では懐かしい芸能人(役者、歌手)とのやり取りが読める。
結婚した美空ひばりとの経緯(山口組田岡組長の一声)その時付き合っていた
浅丘ルリ子との別れ、我がファン赤木圭一郎との友情も出てくる。ハリウッドへ行っては
ジョン・ウェインの豪邸で遊び、フランク・シナトラファミリー(ディーン・マーチン、サ
ミー・デービス・ジュニア)とも豪遊した。台湾へ行っては蒋介石夫妻の前で歌ったことも
ある。歌える俳優と言うことで昭和61年「熱き心に」♬で始めてレコード大賞を取れそう
になったが何故か中森明菜の「Desire-情熱」🎵に逆転負けした。小林旭が貰った「特別選
奨」の賞状は鉛筆書きされていた。これ以来レコード大賞に幻滅した小林旭は二度と候補に
なったにしても舞台に立つことを拒否した。茶番劇を見破ったのである。
多くの同年代俳優は皆、空のスターになったので、今地上に残る元映画スターの言い分は
言いたい放題になりがち。小林旭は孤狼のようでもあるから、余り人も近寄りがたい。
著名なわりにCMも少ないし、連続ドラマ出演もそう多くない。辛口だから生番組にも
呼びにくい。でも絶大なファンは多い。彼が主演した「渡り鳥シリーズ」では
スタントマンなしで挑戦していたことは、つと有名。それを知って尊敬しているのが
香港のジャッキー・チェーンであり、ハリウッドのトム・クルーズなのである。
二人は小林旭を見習ってスタントマンなしで映画作りに邁進した。
画像>持参している一枚。
動画>熱き心に♪


