『おいしい給食 ③』を観て
市原隼人がエキセントリックな教師役の「おいしい給食③」を又観た。
以前は劇場版を図書館映写室で見たが、今回はDVDを借りて来て観た。
笑っちゃうアクションは劇場版程、過激では無かったが「孤独のグルメ」の井頭
のようにブツブツ一人言いながら喋る姿は滑稽であり、実食レポーターとして最高だった。黙々と喋らない状況では人は、実は饒舌なのかもしれないと思った。
教師の甘利田は給食を食うにあたって、強きライバルがいて、それが教え子の神野ゴウだった。いつも美味しく食べるために、様々なアイデア、工夫を考え旨そうに食べるので、甘利田先生はいつも敗北感を味わうのだった。なんだ、そういう食べ方があったのか、食後いつも神野の食べ方を見てそう思う。
借りて来たDVDには第8話「危険な果実冷凍ミカン」と
第9話「揚げパンと言う名のスイーツ」最終話として「二人だけのカレーライス」が収録されている。大体は普通に食べるはずの昼の給食が、何らかのアクシデントで疎外され、それを給食好きの二人がやきもきして、思いがけないアクションを取ると言うのがパターンである。最終話「二人だけのカレーライス」では
この日から給食に米が来ると言うので二人は楽しみにしていたのだが、給食センターの誤配で炊き立てご飯が他中学へ行ってしまった。二人の常設中学ではパンを食べることになってしまった。それに怒った給食をこよなく愛す二人は自転車に乗って、米飯を正しく配送するよう直談判に向かった。
たかが給食されど給食、こんなことでクレームに行く生徒は物語だけの話である。甘利田先生も加勢して険悪な状態になるが、入れ替えることなど
やれるはずもなく、二人はトボトボ学校へ戻ろうとすると、給食センターの人が二人分の米飯を持ってきて渡す。中学校へ戻るともう給食の時間は過ぎていて、
皆体育の授業で誰もいない。そこで二人分の給食を副担任が残してくれていて、給食のライバルは机を挟んでカレーライスを仲良く食べることができた。
そんなどうでもいい話である。このドラマの面白さは給食好きの甘利田先生の食べるときの独り言であり、オーバーアクションである。そんな恰好で教師が食うかい?という程、独創的表情豊かに食べる。そこがバカらしくて面白い。キャストに市原隼人を使ったのは成功である。プロデューサーは見る目がある。
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我々の給食時代(昭和30年代)コメはおろか牛乳瓶で飲む時代ではなかった。パンは殆どコッペパン、たまに食パン、評判悪い脱脂粉乳、クジラ肉やサメの肉の献立が毎月はあった。それも小学校の時だけで中学校は給食ではない、弁当持ち。クラス大半の両親は共働きだったから、昼はパン屋へ注文を出した。その時ソーセージが挟まれたドッグパンを食べたが、これがお気に入りだった。まだまだ菓子パン隆盛であんパンやジャムパン、ウグイスパンにチョコパンが主流であった。ドラマでは給食当番が食品を運ぶシーンが出てくるが、どうしても思い出せない。低学年時は5~6年生が手助けしたらしいが、高学年になって教室で給仕をした記憶がない。皆順番で給食当番したはずなのに思い出せない。食べた記憶はあるのに、給仕や片付け(給食室に食器を戻す)をしたことが思い出せない。小学校(名門桃井小)は3~4年生の時木造校舎からモルタル校舎に建て替わった。多分二年くらいはモルタル新校舎で勉強・給食があったわけなのだが、私は牛乳はテトラ、カレーライスはメリケン粉入りと憶えているのに給仕をした覚えがない。
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このドラマは為になることも言っている。冷凍ミカンは駅弁売りで、1955年には売り出していたという。弁当の方はもっと前から販売が始まっていたけど(宇都宮駅)、冷凍ミカンなんて突拍子もない発想は何処からきたのか?
それを給食に出すアイデアも相当ミカンがダブっていたのに他ならない。
もう一つ、給食は日本以外の国でもやっているが、児童に配膳までさせる国は日本だけだと言う。納得しかり!手抜き発想。だが私はやった記憶がない・・・。
ドラマの冒頭で交通安全信号機の教育の話が出て来て、赤は止まれ!黄も止まれ!と言っていた。フ~ン、そうなんだ。私止まったことない。黄色は急いで通り抜けよ、だと思っていた。これも小学校時代交通安全教育で警官が来たように思うけど、憶えていない・・・・(もしかして隠れアル〇ハイ〇ー)
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