『縄文土器研究から分かること』講演

 

歴史文化講座の講演があった。伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館の館員がいう事には、この建物が出来て「縄文時代」を扱うことは始め

 

 

てであると冒頭挨拶があった。

 

えぇ~?館内には所狭しと縄文・弥生・古墳・旧石器時代のものまで

 

レプリカか本物か知らないが沢山あるが、3部形式で講演会を開催するのが始めてと言う事か。伊勢崎市では今年夏、古墳時代の

 

 

窯跡が出土されて一寸した

 

フィバーが巻き起こった。そのせいか、この講演にも沢山の聴取者が参加していた。講師は県埋蔵文化財調査事業団:谷藤保彦さ

 

 

ん。早速話はじめ

 

「5000年前はこの辺近く(赤堀)、と言っても分かっているのは栃木県藤岡市や館林市方面の板倉町は海であって、1000年以

 

 

上はその状態にあった」と言う。

 

東京湾の入り江が内陸にもっと食い込んでいたもので、人々は貝を食べては一カ所に貝殻を捨てた。貝塚跡が見つかっている。東

 

 

京の上野は完全に海の底であり、現在上野へ行くと崖が多く見えるのはその名残であると言う。

 

 

話しはそれから縄文土器のことに移行し、土器の用途が煮沸道具であり、

 

物を盛る容器であり、貯蔵するものであると言った。面白いところでは

 

人間の骨を葬る再葬土器があることも話された.人を埋葬して骨になったところで土器に詰め直す。いま県立歴史博物館で「弥生

 

 

人は二度死ぬ」と言う企画が開催中であるが、これが再葬のことを展示している。まだ行ってないので県民の日でもチャンスがあ

 

 

れば鑑賞しに行こうと思っている。

 



 

画像>土器の文様デザインは縄目や貝殻などで作られることが多かった。

 


講演中の谷藤氏

縄文時代はケッコー長く1万年以上続いたわけですから、土器も色々あった。火焔式土器は有名だが、取っ手の付いた

 

 

壺型土器も発掘されている。

 

この中には死体が入っていて白骨化されていた。その死体を科学捜査班のように分析したら20代の女性だったと言う。顔形は現

 

 

代人と変わりなく、もう10000年前の人類はすでに21世紀人の顔立ちだった。そのほかには装飾品として貝やヒスイ、琥珀など加工して

 

 

首や腕に巻いていた出土品が群馬でも沢山発掘されている。

 

 

ヒスイは当時から糸魚川にしかないもので、当時の縄文人が幅広く、動いていたことを窺がわせる。