消えた歌姫中森明菜 パートⅡ
中森明菜は東京清瀬市に生まれる。6人姉妹の5番目、父親は精肉業を営む。
母親は鹿児島生まれのホステス業。決して豊かな暮らしとは言えなかったが
母親が美空ひばりと同じ年で憧れて歌手志望だった。清瀬に家を引っ越すと、6人の子供にそれぞれ個室を与え、テレビとステレ
オを各一台備えて、ピアノも置いた。
父親に反して母親の意向である。明菜は小さい頃からバレエも習わされた。母親は自分が果たせなかった歌手への夢を娘に託して
いた。(小柳ルミ子ステージママ風)芸能人の母親にはこういうタイプが多いようである。ある日一番上の姉が歌が上手く器量も
いいので、母親は当時流行っていた「スター誕生!」と言うプロ歌手への登竜門番組への出場を打診した。
姉はそういう派手なことが好きでない性格だったので断った。それを聞いていた明菜はそれなら私が出ようかと自ら出場願書を出
した。しかし1回、2回と失格する。当時審査員の松田トシが二度とも、年齢の割に声が幼いと酷評される。山口百恵や松田聖子
を歌ったが童謡向きだと言う。
それに怒った明菜は舞台から食ってかかって松田トシに反発した。中学3年生の女の子が審査員を怒鳴りつけたんである。いい度
胸しているもんだ。母親が客席から娘を戒めて事なきを得たが、気に入らなければこういう言動を誰かれ構わずするのが本性であ
った。「スタ誕」に明菜は3度目の挑戦をする。こんな子は他にいなかった。歌に対する自信と高名心が尋常ではなかった。そし
て歌は上手く、アイドル並みの顔立ちが功を奏して、最高得点で合格した。執着心が強い根性に敬服したとしか言いようがない。
ついにプロの道へ邁進することになった。高校生の時である。然し当時の高校は芸能生活と併用を禁止していたので、言われてす
っぱり高校を中退してしまう。プロダクション側が他の高校を薦めたが、これも断った。矢張り職人肌の人は皆と一緒の勉学を嫌
う。元々学業が好きな訳ではないし、友人も欲しいという性格でもない。一本気な性格は歌に賭けて生きようとした。母が望むわ
けだし、母に認められ、美空ひばりのような歌手になりたいと決心する。でも学校生活を経験することは10代では貴重な将来の
宝になるはず、仲間意識やコミュニケ、躾や常識、それが通学するだけでも学べる。学業そっちのけで余裕遊ぶだけでいい。そこ
をすっぽり穴を開けて拒否してしまった。最盛期はいいが明菜が後年人間関係でもがく、相談できる友人も少ない、疑心暗鬼や猜
疑心等のマイナス思考になるのは、素質だけでなくこの辺にも原因があるかもしれない。マァ~この辺は多くの日本人にはないキ
ャラクターと歌のうまさがミックス、類まれな天才歌手を生んだ軌跡になった。当時80年代多数のヘロヘロして何でもイエスマ
ンのアイドルが沢山作られたが、主体性を持っていた少女歌手はそう多くない。アメリカではマドンナをはじめゾロゾロいるが、
日本では珍しかった。その反体制的な言動が80年代魅力的に見えたのかもしれない。
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昔の明菜の声を聴いていると(Recollection Akina1998)非常にいい!心地よい。
当時リアルタイムで見ることが少なかった。詩がテレビ下欄に出ることもなく、どんな詩の内容なのか、声が小さすぎて何を歌っ
ているのか分からなかった。本人は声を小さくして歌うと客が耳を傾けて、集中すると言っていたと言うが、そんなことはない。
今度始めてCDを借りて声を聞き、詩を読むと中々味わいある歌であることを知った。長い間偏見を持って拒否していたシンガー
が実は才能豊かな七色の声の持ち主であることが分かった。ごめんよ、明菜!しかし松田聖子にしても中森明菜にしてもレコード
一枚出すと50万枚位売れる。今では考えられない、ファンが多くいたことは見かけだけじゃない、歌声に魂を感じる響きがあっ
たんだろう。二人が年下だからと言って見くびっていたことを反省する。いい歌は時空を超え、国境を越え人々の心に残っていく
ものだ。明菜の物憂い歌声は当時ジャパン・ナンバー・ワンと言われ、アメリカの魂と言われたロックフェラービルを買収。高度
成長期の真っ只中にいた。歌番組も多数あり(ザ・ベストテン、夜のヒットスタジオ)アイドル歌手全盛であった。歌は現在と隔
世の感あり。大勢出て来てワンサワンサと踊りだスタジオライブの今日。もう本人は生で舞台で歌わなくて商売になる。そう言う
詰まらない時代になった。最後に今回初めて知った明菜をモチーフと考え、作った詩の内容を書き綴ってみる。作詞者は皆当時新
進気鋭の売野雅勇氏である。
:♪少女A 黄昏時は少女を大人に変える~~じれったい じれったい
♬二分の一の神話 私悪く言うの いい加減にして、
誰も私 わかってくれない 他人より少し淋しいだけ
♬十戒 発破かけたがる さあかたつけてよ ぼうや いらいらするわ
ツッパリ個性はこう表現され、百恵なきあと第二の物言うアイドルが出現したのもバブル期の産物と言えなくもない。
画像>武勇伝と逸話;自殺未遂は松田聖子と近藤真彦がニューヨークで密会とフライデイが報じたことによる。デビュー頃豊島園
で水着で歌うよう言われたが泣いて拒否。結局説得されて大雨の中で歌い続けた。それを見た若きアナウンサー徳光はこの子は大
物になると確信し
たという。スタ誕の司会だった坂本九も明菜は売れると確信していたらしい。母親の早世で家族とは疎遠になった。何処かそこも
貴乃花の性格に似通る、一度そっぽを向いたら中々元に戻りにくい。人に気を使いすぎる根はやさしい性格なんである。



