『上杉謙信が「佐藤のバカ!」と書いた書状』講演

 

久しぶりに県女大の公開講座を聞いた。タイトルが「佐藤のバカ!」だから皆釣られてきて、会場は一杯だった。講師は中世が専

 

 

門?の梁瀬大輔教授。

 

以前にも突飛なタイトルで受講者を煽る先生である。

 



 

画像>もっと前はスキンヘッドと記憶していたが・・・・。

 

 

書状(写本)には確かに「佐藤のバカ!」と書かれていて、羽生城(拠点)

 

 

に物資・弾薬等を運ぶのに、調子者の佐藤筑前守が名乗り出て、大丈夫だと言うのでまかせたら、雪解け水で増水している利根川

 

 

に辟易し、ついに周りに屯する北条氏側にそっくり持っていかれて、激怒した上杉謙信はそのことを

 

 

羽生城にいる玉井豊前守に張本人の佐藤氏に書状を持って行かせた内容。

 

その古文書の超訳を梁瀬先生が説明してくれた。羽生城は上杉の御城であったが、周りは皆北条氏の城に囲まれていた。羽生城も

 

 

北条氏に攻められ

 

兵糧攻め状態、その助けを上杉氏に依頼したところ、佐藤氏の作戦で失敗し、もっと他の機転が利くやつはいないか、その書状を

 

 

佐藤氏に持って行かせた古文書である。佐藤氏もいい面の皮、作戦が失敗したことを全面佐藤氏に被せて、

 

 

嫌な上司、バカ扱いして、義の人上杉謙信とは思えない書状の発見である。

 

 

でも助けを乞われると義の人上杉謙信は越後から三国峠を越山して、冬と言えども関東へ来た。徒歩と馬で大変な行程である。ト

 

 

ンネルなんかない時代である。北条側も雪山を超えて助けに来まいと、必ず冬になると小田原から関東に

 

 

攻めよせてきた。それを上杉氏は見捨てることなく、生涯で17回も三国峠を越え、沼田、前橋、佐野でベースキャンプを張っ

 

 

て、北条氏に睨みを利かせていたのである。上杉氏はこの「バカ!」と言う罵倒をもう一回書状の中で

 

 

書いていると言う。口で言っても文章に残すのは決して賢明なことではない。

 

写本が多いから信憑性はどうなのか?今では残された古文書だけしか上杉謙信を語るものはない。写本のバ~カ!俺はそんなこと

 

 

言ってね~よという

 

 

上杉謙信の声が聞こえるようだ。

 



 

画像>レジメの一部

 



 

画像>ここは女の園(女子大学)美術部の展示もセクシー