渋沢栄一が出資した「旧煉瓦製造施設」見学

 



画像>パンフ

 

渋沢栄一新一万円札でフィーバーしている深谷へ行ってきた。2~3日前は6世紀,埴輪等の窯跡を見学してきたが、今度は明治

 

 

期近代日本を作り上げた大きな産業、煉瓦作りの窯跡を見て来た。本来なら『ホフマン輪窯6号窯』は劣化による修理がまだ終わ

 

 

ってなく、

 

まだ数年かかる予定の為、見学は不可だったが、深谷の名士、ひいては産業による日本生みの親渋沢栄一翁が新一万円札に描かれ

 

 

るのを記念して、短期間だけ見学が可能になった。

 

お昼近く夫婦で行って他市から見学に来た夫婦やら親子やらと混じって10数人

暗いまだ修理中の6号窯にヘルメットをかぶって入った。6号と言うからには過去に

 

1号~6号まであったが、昭和の時代煉瓦作りは衰退を辿り、残るのは見学できる、6号のみになった。然し昭和40年頃まで稼

 

 

働していて、見学者の中に50年前、ここで働いていた人がいて、説明係の人よりこの人の話の方がずっと面白かった。口の悪い

 

 

見学者の中には

 

明日からここで説明してもらえませんか、暗に現説明係の話下手を批判しているようにも受け取られた。それ位元煉瓦工の話は説

 

 

得力があった。一日3交代で焼いては冷まし、

 

レールに乗せて鉄道で東京方面に出荷していたそうだが、まだ熱い焼き立ての煉瓦を台車に乗せる仕事をしていた。東京駅はここのレンガ🧱で組み立てられた。因みに現在の深谷駅はタイル煉瓦で作られている。

 

 



画像>高い煙突が立つ6号窯。現在修理中。元は建物と同じ煉瓦作りであったが、関東大震災でポッキリ折れセメント製に変わっ

 

 

た。

 



画像>暗い内部に入った。子連れの未就学の子が「怖い!」と泣き出した

 



 

画像>説明する人は毎日何組ものグループに同じ話をするのでシンドそうだった。

 

 



画像>渋沢栄一さん万札とツーショット

 

 

このまま帰るのは何なので花園方面フォレストに向かった。近くのアントレッとで万歩計増歩も思考に入れて・・・・・レポート

 

 

は後日。悪しからず。