『高島屋で布袋寅泰BOOWY展』あるとは言ってたけど・・・・

 

 



 

高崎出身の布袋寅泰とBOOWY展が開催されている記事を読んだので、久しぶりに高島屋へ行ってきた。企画展は残念ながら小規

 

 

模且つコレクター展示だったので撮影は許されなかった。そこで何も書くことができないので図書館の書庫に眠っている布袋さん

 

 

の自伝(秘密)を揺り起こして読み、半分読んだところではあるが記載することにする。許せロッカー!

 

 

お伝えするお話は女性ロッカー山下久美子と結婚したまでの所である。遡っていく形で語っていけばやっとBOOWY【4人編成氷

 

 

室京介、松井常松、高橋まこと、布袋さん】が

 

糟谷プロデューサーの手腕で伝説のロックバンドBOOWYが世に認められる所。

 

 

布袋さんは副業でもいろいろ仕事するうちに山下久美子のプロデュースも手掛けるようになった。その後意気投合してゴールイン

 

 

したという事。布袋さんは出身校の新島学園に在籍していた頃から付き合っている女性がいた。一旗揚げようと上京するもなかな

 

 

か芽が出ないで、食うや食わずでいるとき、その女性が生活を支えてくれた。

 

布袋さんはずっとヒモであったと自嘲気味に当時を振り返る。役者やミュージシャンは若い頃皆そうでバイトに明け暮れ、本業の

 

 

夢への到達を見失う。親や恋人が生活の面倒を見てくれるから餓死しないで夢に向かって邁進できるのだ。悶々とする中高崎でロ

 

 

ックを競い合って居たヒムロックこと氷室京介からバンドを立ち上げないかと誘いが来る。その女性もアパートを代えて同居する

 

 

のだが、やがて裏切りに会い失意の底に沈む。ゆくゆくその娘と結婚するつもりでいたので、布袋さんの悲しみと憎しみは長く尾

 

 

を引き、酒浸りの毎日が続いた。布袋さんの家族は高崎にいた頃、母親と妹の三人家族で、父親は貿易商?

 

 

を営んでいて、一年に何度も高崎に帰ることはなかった。厳格な父親であったという。

 

 

布袋という苗字は母型の名で、なぜ父親の姓名で無かったかと言えば、父親は韓国人で韓国にも家庭を持っていた。然し高崎では

 

 

豪邸に住み、裕福な少年時代を過ごした。当時ステータスなピアノが弾けるお坊ちゃまだった。父親はずっと貿易商と思っていた

 

 

が、日韓をずっと往復していた。母親は高崎では有名なクラブ銀座を経営していて子煩悩な人だった。

 

 

布袋さんが年をとっても「ともちゃん!」と呼び、可愛がった。高校時代布袋さんは母親の財布から盗んだ1万円でエレキギター

 

 

を買ってきた。ギターに狂いだすと生活は荒れ成績も落ちて、服装風紀の乱れが教師との問答を生み、3年の3学期退学届けを出

 

 

した。元々は坊主頭や制服が嫌で公立校を止め私立校に入ったのだが、今一歩のところでリタイヤした。

 

 

同時に父親を殴ってしまい、それが原因かどうか分からないが、両親は離婚することになった。家に居づらくなった布袋さんは夢

 

 

のロッカー目指して17歳、東京を目指すことになる。

 

高崎でバンド活動をしてそのままヒムロック達と上京したのではなかった。その辺が福岡や広島から目指してくるバンドとは異に

 

 

していた。もう高校時代からギターの爪弾きテクニックは群を抜いていて、それは斯界ではつと知れ渡っていた。上京して色々バ

 

 

ンドはやったが、中々芽が出ず悪戦苦闘しているとき、同じ東京で七転八倒している氷室京介からバンド編成の相談が来た。それ

 

 

で布袋さんが名付けたバンド名が「BOOWY」正式には中央の「O」に右から斜線が入る。空集合とかで数学記号。ファイを打つ

 

 

とφと出る。最初候補に「暴威」

 

というのもあったが、いくらデビット・ボウイを崇拝しているからと言って、ちょっとまずい。もう少しハイカラなネーミングを

 

 

模索した。因みに尊敬するデビッド ボウイのスペルはDavid Bowieだった。この時有名になる幾何学模様のギターに刻むデザインも生まれる。私はロックファンではないが布袋さんの名前よりず

 

 

っと前に氷室京介の名前は知っていた。東京にいた頃月刊「噂の真相」と言う反体制雑誌の愛読者で

 

 

、その雑誌の裏表紙に氷室京介と言う名があったのを憶えている。70年代後期長髪でサングラス、歌は聴いたことがなかったが

 

 

暗いイメージではあった。きっと岡留編集長がファン?当時思っていた。そしてUターンして十数年後、高崎でエレキギターに夢

 

 

中になった高校生が真夏にエレキで感電死した「山田かまち」と言う人の本を読んだ。そのかまち少年がヒムロックと親交があっ

 

 

た内容があった。かまちが早世することがなかったら、BOφWYのメンバーもどうなっていたかな、布袋さん並みのギター爪弾

 

 

きテクニックが拮抗するほどだったら伝説バンドの歴史はまた違ったものになっていただろうと「かまち」を思う度、残念に思う

 

 

のである。

 


高島屋二階で展示会あり。

画像>

 



 

画像>布袋寅泰のギタリズム

 

 


画像   BOΦWYのCD  インスタント ラブ




画像  新聞記事と布袋寅泰自伝