『象印魔法瓶や炊飯ジャーのこと』

 

この間縁あって象印発売のスチール製【1975年】ランチボックスをメルカリで購入することになった時、どのような経緯で売

 

 

り手が入手したのか、お互いが匿名・匿住なので

 

情報が得られなかった。象印本社に問い合わせたり、ネットで調べたりしたが埒が明かなかった。県立図書館地下蔵書に眠ってい

 

 

る「象印マホービン株式会社100年の歩み」

 

があることを伊勢崎図書館の人が見つけて、取り寄せてくれることになった。国立図書館から取り寄せれば有料だが、県内なら無

 

 

料である。その資料が来たので開いてみたら

 

2018年発行100ページに及ぶ大型本でCDまでついていた。今どこの大きな老舗が

 

 

社史を編集するとなるとこれくらいは当たり前である。創業からポット、ジャーの製造販売

 

 

そして評判がいい羽釜シリーズ(炎舞炊きはこれ以後)まで網羅。

 

 

然し1975年前後サーモスとタッグで販売したと思われるランチボックスについての記載は省略されていた。私として前回ブロ

 

 

グで書いた以上のことは社史に記録はなかった。

 

 



 

画像>戦後ポットの“ペリカン”がヒットした

 

 



 

画像>象印ロゴも最初はエレファントクラウン印だった

 

 

では折角だから若干の象印の100年史について記しておこう。象印は愛知の市川兄弟によって立ち上げられた。大阪でガラス電

 

 

球を製造する会社にいた。ある日魔法瓶と言う保温ができる水筒がこれから大きな産業になると、二人は郷里に戻って製造し始め

 

 

た。魔法瓶の中瓶はガラス製であった。魔法瓶は1880年のドイツ生まれ、サーモスが前身である。

 

 

銃砲店が最初取り扱ったのは狩猟に携帯する便利さが重宝がられた。やがて屋内でも使用され、日本名魔法瓶と命名されたのは学

 

 

者が売れることを想定しての名づけと思われる。

 

 

最初殆どは輸出(90%)で売れ始めたのは戦後のことである。市川兄弟も最初は中瓶のガラスだけを製造していたが、やがて本

 

 

体丸々作るまでの大きな会社に飛躍した。

 

然しこの時代どこの大きな会社も戦争と言う世界的な出来事によって成長が憚れ中断、戦後再びスタート地点からやり直す。昭和

 

 

30年代中頃に入るとレジャーブームが起き、食料でも水分でもアウトドアで飲食することが多くなった。特に水分は夏は冷たい

 

 

物、冬は暖かいものが飲める容器が必須になった。僕らが小学生の頃水筒は丸型の兵隊用スタイルだった。所が魔法瓶型の保温性

 

 

豊かな水筒を持参してきた子供がいた。スンゲーと思ったが、その子は高価な魔法瓶を石にぶつけたら中の瓶が割れてしまったの

 

 

である。我々の真ちゅう製は凹むことはあっても保温の中瓶がないから親から怒られることはなかった。今は中瓶ポットを持参す

 

 

ることはなくなった。ステンレスで十分用は足りた。それともう一つ象印で思いだしたことは昔土井まさるの「クイズヒントでピ

 

 

ント」と言う番組で当社はスポンサーだった。これに私が趣味でやっていた二ノキン追っかけ(小学校庭にある二宮金次郎像の探

 

 

索)が使われたことがあった。どんな内容だったか忘れたが出題対象だったのである。今は販売店に置くと炊飯器ジャーもポット

 

 

も沢山の品揃えである。過去に花柄のポットが我が家の卓上を賑わせていたなとつくづく懐かしく思う。メルカリでUSA製(ア

 

 

ラジンとサーモス)ランチボックスを爆発的に売っているさ中、今更象印のランチボックスを購入してどうするんだろうと頭を抱

 

 

えている。

 



画像>象印製

 






 

 

動画>