『伊能忠敬・大河への道』を観て

 

 

 

 

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伊能忠敬(以後チューケイさんと書く)の映画は過去に幾つか見た気がするが

 

 

業績をやや否定した映画は始めてである。つまりは歩幅で計測した「初の日本地図」

 

 

はチューケイさんが死んでから完成したもので、3年前に亡くなっていた。

 

 

共に日本全図に取り組んでいた部下たちは予算が打ち切られるのを恐れて、生きていることにし、影武者を雇って完成まで計測し

 

 

続けた。然し元々は香取の酒問屋の婿養子で

 

天才的に財を成し50代で家督を倅に譲った。チューケイさんは地球の大きさが知りたくて、江戸に出て、年下の天文学者・高橋

 

 

至時の弟子になる。そんなこんなで

 

蝦夷地から測量を始めるとき、金の一切はチューケイさんが出資していた。このことは

 

 

「大河の道」では触れていないが、やがて口コミで幕府知ることとなり、お上の予算で測量し続けることになったのである。

 

 

チューケイさんの凄いところは50歳で始め、測量17年間で4000万歩も70㎝幅で歩き通したこと。(尤も計測は弟子たちが主体

 

 

だったろうが)炎天下でも寒風の時でも同行指導した。それは高齢だから体にこたえただろう。それに子供の頃から病弱だったと

 

 

いうから

 

 

如何に生きる上に信念を持つということが大事であることか教えてくれる。ケチで頑固な初老と言う人格も決して評判がよろしく

 

 

ないが、養子として能力を買われて、ついに伊能家を香取で評判の商家に築き上げた。後の余生は自分の好きなことをやって人生

 

 

を全うしたい。江戸後期は町民文化の時代だったからチューケイさんのような秀でた凡々を多く輩出した。チューケイさんが尽力

 

 

した日本全図はアジア侵略を目論んだヨーロッパ人たちも一目置き、こんな正確な本国地図を作っている民族はとても領土にはし

 

 

にくいと諦めた。

 

 

然し全図を欲しがる彼らからヨーロッパ情報が欲しい幕府人は交換条件に渡してしまう。

 

 

故に幕府は危機を感じ重要資料として深く縁の下に埋もれてしまった。全国で著名になったのは明治期に入ってからである。チュ

 

 

ーケイさんが教科書に二宮金次郎と共に載るのが定番となった。皆子供にこのような偉人になることを啓蒙したのである。大河へ

 

 

の道の主人公はむしろチューケイさんより偉業を手助けした名も無き人々にスポットを当てている。

 

 

落語家立川志の輔原作を基に面白おかしく中井貴一や北川景子が現代劇と時代劇の二役を演じたからね。市役所職員がチューケイ

 

 

さんの名を全国に知って貰うアイデアはNHKドラマに乗せることだと苦策を弄する。然し脚本を依頼されたライターは地図完成

 

 

3年前に亡くなった主人公がNHKドラマには成れないという。これらの主役は後を引き継いだ名も無き幕府役人と助手であると

 

 

し、見事完成して映画はエンドする。

 

 

最後のシーンで将軍と幕府役人が部屋一面に広げられた日本全図を見下ろしながら

 

 

「忠敬はどこにいる?」と聞く将軍の問いにチューケイさんが履いていたボロボロの草鞋を胸元から差し出し「ここにおります」

 

 

と言うセリフは泣かせる。伏線があってもうすでにチューケイさんが世にいないことを知っている将軍の一言は決してお上を騙し

 

 

てまで計測業務をし続けるつもりはなかった。チューケイさんの意志を継ぎたかった幕府役人や助手の気持ちを汲んだ「・・・そ

 

 

うか・・・」だったのである。将軍は草刈正雄が演じていた。

 

 

 

 

画像>予告編