「つなとり~綱取り~横綱~相撲」
私が住んでいる町はつなとり町。連取町と書く。江戸幕府以前は綱取村と言った。
利根川の支流、広瀬川で物資を江戸に送り【主に絹関係】、江戸から物資が運ばれてきた。
上流を上って来るから船頭だけでままならず、両岸叉は片岸に雇われ人足がいて、
ロープ(綱)で引っ張った。河畔は綱を引く人足が沢山いて、船主も河畔に住んでいた。
いつしか河畔周辺は「つなとり」と言われるようになった。最初漢字に「綱取」と当てはめていたが、家康が天下を取り駒井氏の
領土になると「連取村」と改めた。
発音だけ聞くといつも「つなとり」相撲の綱取り、トップに立つ力士を想像する。
近年久しぶりに稀勢の里が日本人横綱に返り咲いて、10年余り続いたモンゴル力士時代を
蹴散らす勝負を期待したが、モンゴル横綱(日馬富士)と土俵際で倒れて、力士生命を脅かす負傷を負った。優勝力士が久しぶり
に日本人力士から出ると思っていたが、不幸にして横綱になっていながら短命に終わった。近年は学生出身力士を多く輩出し、力
士も巨漢が少なくなって中型力士が多くなり取り組みが面白くなった。一時期は重量型の当たって、
バタンキュー相撲が多く詰まらなかった。まだ引き相撲や立ち合い避ける相撲もあるが、
以前よりずっと少ない。栃若時代(栃錦×若乃花)のようながっぷり四つ相撲での勝負が見たい。子供の頃は体育で「相撲」があ
り、勝負はツッパリ、押出ではなく上手投げや下手投げであった。だから相撲も柔道のように一本背負い風な勝ち方を期待した
い。私は若隆景のファンだったが小兵故、怪我が心配だった。力士は上半身は鍛え、食って体重は増やせるが、下半身は上半身に
比べて大きくなれない。骨格や筋肉を一回り大きくし、靱帯の太さも倍以上にならないとぶち当たった時の衝撃や土俵外に転落し
た時、自分+相手の体重で大怪我をする。過去にも有望な力士がどれだけ道半ばで引退したことか。
怪我無くして名馬なり、綱取りは今後大関の三人と入幕したばかりの「尊富士」「大の里」が来年なりうるかも?怪我無く順調に
いけばである。横綱照ノ富士は今年一杯やれるか怪しい。一人横綱でもう一人の横綱待ちである。大関貴景勝も首痛が完治しない
以上、横綱は見込めない。新しいスターの誕生が待ち遠しい。田舎の町「つなとり」から声援を送っている。ここは相撲文化不毛
の土地で過去に力士が誕生した例がない。群馬出身で活躍した力士となると「栃赤城」「琴錦」位だろうか。つなとり~綱取り~
相撲へと長~い褌を繋げた話如何であったかな。褌はある時までは消火栓のホースであったそうな。そして褌と言うのは滅多に洗
わないしめ縄のような厳かな物であったという。痛さと臭さを伴うアイテムである。
画像>琴錦は一度優勝している。栃赤城は有望だったが怪我で引退している。当分群雄割拠下剋上の場所が続くであろう。現在で
は横綱から前頭上位まで実力同じ。飛びぬけて毎場所優勝戦線に上がる力士がいないためである。小柄な力士の奮闘が楽しみな格
闘技は世界広し雖も唯一無二である。