『群馬の森 朝鮮人追悼碑』撤去のこと
鬱蒼とした広大な群馬の森の中を散歩していると、散歩道を外した一角に背の高い塔が立っている。数十年前或る日のことこれは
何?道にそれて眺めて居ると「朝鮮人追悼碑」とあった。ここはダイナマイト発祥の碑とか火薬製造所が戦前あったところだと知
っていた。
人里から離れたところで弾薬を製造し、誤爆が起きて沢山の犠牲者が出たことも聞いていた。現在「わんぱくの丘」とか「かたらいの
丘」とかあるのは、爆音や犠牲者を最小限に留める為盛り土した苦肉の策である。それでも大陸から仕事と称して担ぎ出された
人々は群馬の森だけに留まらず、色々な軍需工場に4桁単位人数で来日していた。そのような労働者が誤爆の巻き添えに会い、こ
の地に葬られた。それを憐れに思い在日の人々が2004年県に許可申請して、一定の条件を飲んで建立した。然し年月が経てば
政治利用や人道問題に利用されることもしばしば・・・。ついに期限が来て場所を提供していた県側が撤去の要請を出した。それ
が聞き入れられないので、ついに裁判に持ち出され、最高裁で今年「撤去せよ」の判決が下されたと言うのが経緯である。8年の
月日を要しついに強制的に「「朝鮮人追悼碑」は撤去された。
新聞で見たので翌日散歩がてら群馬の森に行ってみると、何人かの人が碑の跡に屯していた。毎年ここに集まって追悼していた
人々は新たに碑建立を模索するのか、群馬の森に拘るのか分からない。日本人にとっては眼を瞑りたい戦争遺跡なので、これ以上
言及したくはないだろう。ここは何故か今尚全敷地面積の何分の一かは火薬研究所として建物が残り、残りを県民憩いの森として
開放した。ここでの悲惨な歴史を知らずして元気溌剌ノー天気にウォーキングは出来ない。何千人かの尊い命がこの地に埋まって
いるかと思えば、現今の平和の有難さを身に沁みて感じざるを得ない。
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高い碑の後ろには碑文壁があって日本語、ハングル語、英語で「記憶、反省、そして友好」と記されていた。今日韓はぎくしゃく
して決して友好関係にあるとは思えないが、民間人同士は政治家程仲は悪くない。ただこういう碑があると報道何々日報などが政
治に利用したがる。建てた人々は亡くなった犠牲者の追悼に重きを置いているので、管理者に対して従順なのだが、人が集まるこ
ういう碑前をあおる場所として書きたてる輩がついに最悪の撤去と言う事態を招いたのではないだろうか。
参考文献:検証・群馬の森 朝鮮人追悼碑裁判 藤井正希著

