『亡父との将棋の想い出』

 

断捨離をしていたら押し入れの奥の方から将棋盤と碁盤が出て来た。うちの親父は(77歳で没)下手の横好きで

 

 

将棋が好きだった。わざわざ知り合いに特製の将棋盤を作って貰ったほどだった。脚はないが駒を打つとバシッと

 

 

中々いい木の響きで将棋が指せた。碁盤も一緒に出てきたが、碁の方も習ったけど、そのうち上京してしまい

 

 

碁をできる水準には至らなかった。将棋は少年時から青年時まで五分五分以上私の勝率は高い。私は淡白で

 

 

将棋を二戦三戦やるのが嫌だった。一戦目勝つと必ず再戦を申し込まれるので二戦目は手抜きした。親父は更に負けると

 

 

三戦目が待っているので更に手抜きした。私は何手か先を読むが親父は速攻将棋だった。この前八冠制覇の藤井聡太が

 

 

「徹子の部屋」に出ていたが、インタビューに答えて40手先は読むと言っていた.棋士たちは盤が無くても

 

 

頭の中で将棋を指せるからそのくらいは皆やっているんだろうと思う。

 


八冠とは棋聖、王将、棋王、王座、名人、王位、叡王、竜王である。


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現今は超天才棋士・藤井聡太氏の登場で将棋道場は流行っているとか・・・。私の知り合いの人の倅も一時

 

 

親子で道場に通っていたと言う。知り合いは升田幸三に憧れ上京した位だから、指し方が違った。いつも飛車角

 

 

抜きでやっても負けた。私と親父が将棋を指していた頃は大山康晴王将と升田幸三名人の風雲急を告げる戦いだった。

 

 

内の親父も升田幸三のファンで歯に衣着せぬ姿勢を好んだ。あの頃は八冠なんて数ではなく5冠程度だったと思う。

 

 

それぞれの新聞社が企画のトーナメント試合を開催していて、一人の棋士が幾つもタイトルを持ってはなく、

 

 

羽生善治氏が登場してから無敗を連ねた。羽生も凄かったが藤井の勝ちっぷりは尋常ではない。勝負師とは

 

 

程遠い風貌でバッサリ敵を斬る。粘り腰、デジタル頭脳で鍛え上げた前頭葉🧠は負けを極端に嫌う。

 

 

大谷翔平野球人、羽生結弦スケーター、遮二無二に他のことには目もくれず、他人付き合いせず、これと決めた

 

 

一本道まっしぐらに突き進む同じヤングマンの姿勢と輩出。一寸我々昭和人とは違和感ある天才たちである。若いうちに天下を取

 

 

ってしまった天才は残り半分以上の人生を無難に生きて行けるんだろうか。

 

 

将棋盤はジモテイに出品してみた。この前は松井秀喜カードをメルカリ出品,当世に沿った生き方も良ろし、そして楽し!

 

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