「読売新聞連載 時代の証言者 堀内恒夫」

 

 

 

 

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現在読売新聞「時代の証言者」でV9の堀内恒夫のことが連載されている。巨人V9時代は私が中学・高校を

 

 

卒業しても続いていた。打順1番から8番まで殆どが不動のラインアップで選手層も厚く、負ける要素がない

 

 

屈強ぶりだった。そんな他球団から「G」マークを見るだけで震えた時代から半世紀、舐めに舐られ、軽んじられ

 

 

随分弱小チームに堕ちこんだなと嘆かわしい。今年は阿部新監督になったが、何か代わりばえしないな。

 

 

毎年球春、キャンプシーズンに入ると、早く開幕戦が待ち遠しかったものだが、今じゃ年間で地上波放送する

 

 

チャンネルも無くなって、新聞で名前は知っているが、どんな顔しているんだろうと思うくらい、名前と顔が一致しない。

 

 

昨年も門脇や赤堀だと分かったのはシーズン終わりころだった。今年は万年ビッケツの中日が戦力アップしたので

 

 

下手すれば、そこが定位置になってシーズン終わってしまうんかいと懸念している。

 

 

―————話は肝心の200勝投手(名球会)堀内恒夫のことに戻すけど、彼は現役時代悪太郎、小天狗と言われた

 

 

非常に生意気で態度のデカい選手だった。然し度胸があるので日本シリーズみたいなビッグゲームに強かった。

 

 

堀内がいたから巨人のV9は例え王・長嶋揃い踏みでも、そうたやすくは成しえなかったと思う。堀内の悪太郎たる

 

 

由縁は巨人独身寮を抜け出して遊びに行く名人王・柴田・堀内がベスト3.名選手になる人ほど武宮寮長鬼の形相など

 

 

なんのその夜中抜け出すのを楽しみにしていた。あと報道陣に対する態度が冷淡であったと言う。堀内の球は早く、カーブの曲が

 

 

りは急なので当時のセ・リーグの4番バッターは

 

苦労した。それに加えふてぶてしい態度が示すようにマウンド度胸があり、彼の生涯勝率は高かった。今の大谷翔平のように

 

 

二刀流でバッターとしての成績もよかった。ピッチャーかショートか、どっちかでやろうとプロに入団した。

 

 

それは後にピッチャーより内野手で勝負しようという気持ちもあった桑田真澄にも言える。彼は身長が低かったので

 

 

ピッチャーにそれほどの拘りを持たず入団した。大体名投手の実績を作る人はバッティグにも非凡なものがある。

 

 

バッティングの良かったピッチャーは巨人だけに限っても古くは別所、金田(二人とも生え抜きではない)江川、西本、斎藤、

 

 

桑田、水野、菅野、戸郷・・・・投げる以外は全くダメだったのは槇原、小俣(左腕)位。ピッチャーで甲子園で投げたのに

 

 

野手に転向したのは川相、柴田、片やバントの名人、片や盗塁王、プロのレベルが如何に高いか分かる。現在はV9時代の比に

 

 

ならない位選手能力のレベルは高い。野球に人気はないが少年野球から高校野球まで底上げが高く、世界的に見ても技術の高さは

 

 

凄いものがある。私が高校で野球をやってた頃、甲府商業で堀内を育てた監督が来ているので、投げ方を

 

 

見てもらう話が出ました。嘘か話は立ち消えになりましたが、どういう事でそんな話が出たか分かりません。そんな翌年

 

 

親父が元大毎(現在ロッテ)前橋工業出身のAさんを見つけて、練習後教えてもらうことになった。然し野球の素質がなかった故

 

 

に部員も少ないチームでとても「あれ」を目指すような実力が伴っていた訳ではなかった。その元プロを学校がコーチにする

 

 

話しも進んだのか否か、立ち消えに終わった。堀内をテレビなどで解説しているのを見ると、よくそのことを思い出す。

 

 

あっちは中学時代から注目された逸材だった。こっちは中学時代野球部には入らず、草野球で大して上手いとも言えぬ

 

 

同級生を相手に負け知らずではあった。時代は男は野球部しかなく坊主頭になるのが死ぬほど嫌で入部したくなかったが

 

 

他に目立つ運動部もなくて入ったのが運の月だった。堀内位の素質があれば何の苦労もなかったが、なぜか父親や

 

 

同級生には期待された。全くの見掛け倒しであることに気付くのが遅すぎて、ホント入部したことを後悔している。

 

 

堀内は巨人V9を支えた大投手だが、采配する側になったらうまく選手をコントロールできなかった。それは結果のことを言って

 

 

いるので、堀内が監督をやっていて優勝することはなかった。戦力はそれなりにあったと思うが選手の好き嫌いが優先したように

 

 

思う。巨人で監督になって優勝できなかった人は彼と高橋由伸だけである。でも高橋は若い岡本を4番に仕立て上げた。高橋は今

 

 

でも監督へのラブコールが聞こえる。堀内は監督より解説者向きである。それも地上波解説よりYouTube向き。彼の会話は

 

 

歯に衣きせぬから痛快でスカッとする。今後の堀内に大いに期待する。昨年は阪神村上、一昨年はヤクルト村神様、巨人に村上と

 

 

言う名の選手おらんかい?いたら使わにゃいかんよ、阿部ちゃん。

 

※夏の甲子園は50回大会頃から一県一校になったが、それ以前は群馬と栃木で一校、栃木の出場高校が増えると栃木は一校、

群馬は山梨と合わせて一校しか出られなかった。でも東京や大阪から見れば高校数は知れたもので、今でも50校程度しか高野連に所属してなくて群馬県代表で一校が出場できる。東京の子や大阪の子が各県に散らばる気持ちも分からんではない。