紫式部って何者?ペンネームorあだ名

 

 

昨日NHK 大河ドラマで“光る君へ”を見ていたらまひろ(紫式部の呼び名)が代筆の仕事をしていた。(和歌恋文)

 

 

胴元から金銭を貰っているかどうか分からないが、昔学生の頃渋谷道元坂でGIにラブレターを書く代筆業をしている

 

 

親父がいたことを思い出した。脚本家大石静氏はこれがヒントではあるまいな。平安時代和歌は貴族の恋愛ゲームの

 

 

嗜みであり、下々の者が貴族を真似て同じようなことをしたかどうか、創作なのか事実なのか懐疑的である。

 

 

大河ドラマは幕末明治期や戦国時代が舞台だとそれなりの視聴率を取るが、女性が主人公の大河ドラマは苦心する

 

 

歴史がある。それを承知でOKしたからには奇抜なアイデアが必須となる。その第一弾ではあるまいな。

 

 

「光る君へ」がどこまで奮闘するか先は闇だが、前方に一条の光が差すか最初の1~2回に掛かっていると言える。

 

 

期待して今後も視聴したい。そもそも1000年前の平安時代、女人は自分の名前は語らなかったし、名乗りもしなかった。

 

 

だから宮中で騒がれた不朽の名作「源氏物語」の作者は藤式部(とうのしきぶ)だった。式部は実父の仕事の部署で

 

 

今でいう文部省のようなもの。藤は親父が藤原為時と名乗ったからである。枕草子で名を馳せた清少納言も「少納言」

 

 

は親父の役職で清原の「清」からきている。この時代女性は顔を見せない位だから人前で名を名乗ると言うこともなかった。

 

 

それは天皇もそうであった。屋敷では帳があり、顔や姿さえ見えなかった。藤式部と呼ばれた時代から「紫式部」という

 

 

あだ名で言われるようになったのは宮中でのことらしい。源氏物語の登場人物「紫の上」が余りにいいキャラクターなので

 

 

宮中でいつの間にかそう言われるようになった。それは紫式部自身が書いた「紫式部日記」に書かれている。

 

 

自筆かどうか知らないが、兎に角写しが膨大にあるから何が本物で写しであるか分からない。墨字は現代の万年筆や

 

 

ボールペンのインクよりずっと長く残存する。日本技術者の伝統はもうこの頃から墨、和紙、筆、皆一級品の技であった。

 

 

筆は女人でも力がいらないから宮中恋愛絵巻のストーリーをスラスラと書き綴っていった。漢文から仮名文が出てきた時代で

 

 

女流作家の目覚ましい輩出を生んだ。その代表的小説家が世界でも稀に見る「源氏物語」の作者「紫式部」と言うことになる。

 

 

これを読むと如何に当時の宮中は恋愛ごっこに明け暮れ、男は出世と嫉妬の渦中に日々ライバルを見つめていたか分かる。

 

 


 

頂点は天皇だったが天皇も妾を幾人も持っていた。皇后がいて中宮がいて、女御がいて更衣も4番目の言い方変えれば後妻だっ

 

 

た。インドネシアのデビ夫人みたいなものである。紫式部が藤原道長の薦めで宮入したのも道長の娘が中宮で世話役の女房と言う

 

 

役職で入った。紫式部もやがて17歳年上の他に妻子もある藤原宣孝と結婚はするものの子を一人産めば、宣孝は中々家に寄り付

 

 

かなくなる。そりゃそうだ他に幾つか女を囲っているからインテリで頭の切れる紫式部は疎ましい。男のプライドが傷つく。平安

 

 

時代扇子を口に当てて「お、ホ、ホ、ホ」と言う恥じらう女の可愛さに欠ける。

 

 

この時代から昭和初期まで子供の生存率は低いので多産も多いが,別腹出産も多い時代である。流行り病の(麻疹、疱瘡等)

 

 

蔓延は大人にも影響して、ついに結婚生活2年余りの宣孝の身にも押し寄せ疫病で亡くなってしまう。ここから

 

 

寂しさの余り長編の源氏物語に取り掛かり、宮中で評判が高いので延々と書き綴っていったと言うのが真相らしい。

 

 

摂政の藤原道長も中宮の彰子もスーパー愛読者で先々が読みたくて紫式部をせかして書かせたと言う。   然し彼女の

 

 

名前も(紫式部日記には香子とある)幾つで亡くなったかも当時女人の記録は残らない。よく旧家の家系図に「女」

 

 

としか書かれていない図を目にすることがある。平安時代ともなれば記録はそんなもんであろう。よく現代まで

 

 

江戸時代多発されたとは言え、源氏物語が受け継がれてきたものである。それだけ日本人の心を打つ内容であったことなんだろ

 

 

う。世界にも誇れる女性による一大巨編は日本人の誇りである。私は最初大河ドラマは「源氏物語」だと思っていた。衣装なんか

 

 

大変だろうなと懸念してたが、まさか「紫式部の人生」とは思わなかった。道長を絡めるにしても一年50回は厳しいな。種切れし

 

 

そうではないか。清少納言はその頃宮中にいなかったし、どう話のタネを出し切っていくか、大石静の筆力の見せ所である。

 



 

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参考文献「紫式部」学研漫画、「紫式部日記」時海結以/文  久織ちまき/絵