落語講演・桂夏丸

 

 

チケットは2枚貰っておいたが、スッタモンダシテ結局お一人様で聞きに行った。桂夏丸は歌丸の弟子ではなくて

 

 

桂幸丸の弟子。大師匠は桂米丸だそうだ。高座でよく「ライスボール!」と言っていた落語家だ。大正14年生まれの

 

 

99歳。その米丸の一番弟子が歌丸なんだそうだ。この世で落語を生業にする人約1000人。階級社会で「前座」「二つ目」

 

 

「真打」・・・「御臨終」の4段階と客を笑わせる。桂夏丸は前座は4年、二つ目10年、平成の終わりころ真打になった。

 

 

吾妻生まれの群馬人である。この前高崎出身の林家つる子が10人抜きで?真打になったが、夏丸の真打昇進は平均的と思われ

 

 

る。この前町を歩いていて人に聞かれたと言う。「あんた、笑点に出なさいよ!」それは無理。あれは媚と金がいる????。

 

 

落語だから真面にきかないように・・・・本音とも嘘とも付かない言葉がチラリ!今日は東京から何で来たかと言えば

 

 

電車。東京に長く住んでいると伊勢崎は田舎ですねとチクリ!あくまで高崎や前橋と比べてですけどね。とフォローも忘れない。

 

 

私の生まれた吾妻の方は無人駅が多くなって自動改札.suicaを持ってないので帰郷する時、初乗り料金で乗れば

 

 

安く目的地まで到着できる????そりゃ「キセル」と言うもんだ。私が在京の頃昭和の時代皆これをやっていたから

 

 

国鉄はJRになるわけだ。♪いい日旅立ちの百恵ポスターが貼られていた時代だ。suicaを持っていれば新幹線にも

 

 

乗れると田舎のおばあちゃんが言い張り、スイカを抱えて乗り込んだ。駅員はこのスイカじゃ乗れませんよと言ったら

 

 

おばあさんは「こだまなら乗れっぺ!」かなり古いギャグを一席。おばあさんは年寄りになるほど強情になる。今実感しておりま

 

 

す。はい。夏丸は自分のおじいさんの話をし始め、親戚一同で東京から吾妻に帰るとき、どうしても皆と一緒に在来線で

 

 

帰るのを拒む。上越新幹線が開通したのでそれで帰れば、家に早く帰れる。金も掛かるし時間もそう違いもないと言うのに

 

 

強硬して新幹線に乗ってしまった。他親戚一同はワイワイガヤガヤ在来線でのんびり帰ることになった。線路は高崎か新前橋駅か

 

 

聞き逃したが、皆が到着するとおじいさんはプラットホームに一人佇んでいた。聞けば乗り換えがあり、新幹線の本数もそう多く

 

 

なかった時代で40分待ちだったと言う。結局おじいさん皆と一緒に帰ったと言うお話。角栄さん生存の頃で新潟へ向かう新幹線

 

 

の開通は早かった。採算あうんかいと疑問に感じた思い出がある。そう言えば角栄さん宅が正月火事に会いましたねと夏丸ポツ

 

 

リ。後は取ってつけたような時間稼ぎの駄洒落を幾つか。若い子が「旧中山道」を一日中山道(いちにちじゅうやまみち)と読ん

 

 

だとか、雪国の原作者は誰?と聞いたら「吉幾三」と答えたとか、コンニャクの裏表はどっち?とかよく聞くネタを披露。

 

 

やっと30分前本職の落語をやるところまで辿り着いた。落語は笑える話と人情話、どっちがいいですか?

 

 

500人余り集まった観衆に聞いてきた。殆どが初笑いに来ているから大部分笑いを挙手。私も年末年始笑いを忘れた老カナリア

 

 

だから、今日は腹から笑って反吐でも吐きたい。そこで話し始めたのが鶴が松に飛んできて、昔は首長鳥と言われた鳥の名前が

 

 

鶴になった長屋の御隠居の落語。「オスが つ~~~~と飛んできて松に止まり、次にメスが る~~~~~と飛んできて

 

 

松に止まった。だからつると言うんだ」とでたらめなことを言い、それを信じた長屋の与太郎みたいな子がそれを自慢して

 

 

知り合いに話そうとするんだが、忘れてしまって中々言えない他愛ない落語。この後余興として歌を歌った。撮影OKを告示。

 

 

歌は「高校三年生」♬「青い山脈」♪2曲歌ったが落語より😋上手い!失礼ながらこっちの方に聞き惚れてしまった。

 

 

会場は年寄りばかりなので非常にマッチした選曲であった。桂夏丸は40代なのによくこの歌を知っていたと思う。

 

 

終わって外に出たら雪国のような寒空に一変していた。小雪もちらつき折角の笑いを胸にしまい込んだのに残念ながら冷え冷えし

 

 

てきてしまった。

 

 

 

 

 

画像>本名は阿部仲麻呂とちゃう?阿部清彦だとさ。

 

 

 

 

 

画像>パンフ落語家としてはあり得ないアングル撮影。

 

 

 

動画>お笑いを一席????