『屁のような人生』水木しげる著を読んで

 

この本は屁いせい(平成21年)ゲゲゲの鬼太郎を描いた水木しげる氏の八十八歳を記念

 

しての出版だった。ページ数500余りの漫画・活字・写真で綴った集大成。この一冊で水

 

木しげる氏の人となり、歴史也がよう分かる書物である。私が水木しげる氏を知ったのは

 

テレビで「ゲゲゲの鬼太郎」が放映されてからだった。もうすでに高校生近くになってい

 

たが、これはサイコーに面白かった!主題曲もいいし、キャラクターが全部個性的だった

 

熊倉一雄氏のねずみ男の声など最高だった。

 

作家の水木氏が実は隻腕であったことを知ったのはずっと後のことだった。更に失ったの

 

は戦争で爆撃を受け、九死に一生を得たことを知った。この本で生い立ちを読むと

 

根は実に明るい、自由奔放な性格。何をやっても続かない飽きっぽさ、唯絵を描き時は

 

目の色が変わる少年。だから画家を目指すが、時は戦時下、生活のために色々な仕事を

 

しなければ生きて行けなかった悪い時代に生まれた。妖怪の面白さに目覚めたのは

 

幼い頃おばあさんがよく話をしてくれたからと書かれている。

 

 

 

画像>

 

最初タイトルが面白いと思って、背表紙を引き出したら、水木しげる著とあった。

 

数年前群馬でも京都のような紅葉が見られると高崎観音山にある徳明園と言うところを

 

訪ねたことがあるが、この名園を作った山田徳三と言う人は自己を揶揄して

 

「人生万事屁のごとし」と謳っていた。何か水木しげる氏と似通ったところがおあり

 

何だろう。片や実業家で稼いだ財産の全部を名園作りに使った。そして戦時下

 

自費で防空壕を作って迷える民を救った。水木しげる氏に召集令状が届いたのは

 

昭和18年21歳の時だった。入隊してラッパ手を命じられるが、上手く吹けなかったた

 

め、南方の激戦地であるラバウルに補充兵として動員された。あの軍歌でお馴染みの

 

ラバウルにである。ここで空爆を受け片腕を失った。東京に戻り治療を受けた。

 

そして終戦。水木荘と言うアパートを経営したり、紙芝居や貸本屋、戦記漫画誌を

 

編集執筆したりして、やがて「墓場の鬼太郎」を昭和35年に描き、注目された。

 

そして人気を不動のものにしたのがテレビ放映「ゲゲゲの鬼太郎」である。

 

昭和42年―45歳の時だった。翌年3億円事件が勃発、マンガブームが到来した。

 

こうなると暇で体を持て余すこともないが、ほとんど寝ずで体の調子を崩す

 

漫画家が大半である。それでアシスタントを大勢雇うことになる。ここから

 

第二の漫画家が登場する。つげ義春氏もその一人である。

 

 

 

 

画像>ゲゲゲの鬼太郎♪主題曲

 

この厚い出版物には嘗てのヒット作、水木しげるの漫画も載っている。「墓場の鬼太郎」

 

エロイム エッサイムの「悪魔くん」「河童の三平」現在郷土の偉大な漫画家を讃え

 

境港市には水木氏が生んだ鬼太郎はじめ沢山の妖怪たちが町を埋め尽くしている。