マンガで読む「坂口安吾・堕落論」

 

随分久しぶりに「堕落論」を読んだ。それもマンガである。安吾が作家として

 

脚光を浴び飛躍したエッセイがこの一文であった。人生半世紀も前安吾作品を

 

ほとんど全部読んで卒論を書き上げた時、担当の教授に褒められたことを思い出す。

 

その時堕落論のことは一切書かず、別段新しいことを論じているとは思わなかったが

 

これを読んで戦後生きる指針を無くした人には、勇気を取り戻す言葉になったことは

 

否めない。人間は元々堕落した生き物だ。その生きる環境に応じて矜持・自尊心は

 

かなぐり捨ててもいいのではないか。そんなものは元々持っていなかったものだ。

 

あれほど国を思い、親の行く末を案じて特攻隊に志願した人でさえも生き残れば闇屋とな

 

り、二夫にまみえずと操を守り通した御婦人でさえ、新たな面影にときめき、思いを

 

宿すのも近い。人間は元来そういうものだ。生きやすいように生きるリアリストなのだ。

 

これが戦後、鬼畜米英を叩き込まれ、生きて虜囚の辱めを受けずを心底教えられた

 

日本人がGI達がこぞって上陸すると掌を反すように、ニコニコと出迎え、子供たちは

 

ギブミー・チョコレートとジープに群がった。安吾はそれでいいのだ。

 

人間は元来そういうものだ。思想だの大義は生きる上の幻想にすぎない。そんな兜は

 

脱ぎ捨ててありのまま「素」で生きた方が人間らしい。このマンガは「白痴」も載ってい

 

て、こっちはよく映画にもなっていて、何も考えない、何も分からない、豚の脳みそ

 

しか持たない人ほど幸せなんだと説く。性ホルモンだけを発散して、それを要望する

 

者が近くにいて、満たされていれば交互で幸福。主人公伊沢は映画会社に入って

 

戦役を逃れ、疎開もできたはずだが戦火の東京に残って丸やけになって死ぬ覚悟

 

でいた。実際安吾もそうしたように戦後の安吾の筆力は凄まじい戦争体験が

 

迫力を持って描かれ、読者の絶賛を浴びることになる。それは命がけで

 

「あちらもこちらも命がけ」の自筆を色紙に書き残すように

 

爆弾と焼夷弾の中を彷徨い、修羅場を抜けた人だけに描写できる傑作連だった。

 

 

 

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「生きよ、堕ちよ」の名言は生きる望みを失った者にどれだけ生き易くしたか知れない。

 

食料統制法の時代、闇米を高値で買わなければ生きていけない時代、法律は守らなければ

 

いけないと餓死してしまった裁判官がいた。それ位食料が乏しい時代、この人以外の

 

法律関係者はノーノ―と生き延びた。闇で食料を手に入れて餓死を逃れた。焼け跡に残さ

 

れた大部分の人々は生きるために列車に乗って農家へ食料の買い出しに出かけたのであ

 

る。安吾はそんな日本人総堕落の風景を見るより、爆撃を受けても皆協力して火消しや

 

防空壕で営む人々の連帯・一体感が美しかったと書いている。