宮崎駿「風立ちぬ」と堀越二郎展
10年前ジブリアニメで「風立ちぬ」が上映されたとき、ゼロ戦設計者が群馬の
藤岡市出身者であることを知った。藤岡市では全市を上げて堀越二郎展を開催した。
見学に行ったが撮影できなかったので余り記憶にない。堀越氏が設計した烈風や試作機
がどんなものであったか、特色がどうだったか憶えていない。

画像>羽の折れ方とか鋲が違う?

画像>速度が違う?高度が違う?
たまたまゼロ戦模型を持って写真撮影OK!コーナーを設けてもらったが、受付の人が
ランチタイムで質問するには気が引けた。でもこういうコーナーを作って貰っただけでも
展示開催の進歩である。後はもう少し写真撮影を広げてもらいたいだけ。
堀越二郎は勿論若いころから飛行機に憧れて操縦士になりたかったが、極度の近眼のため
操縦は諦めて設計に人生をかけた人だ。ただタイミング悪く日本は軍事大国に突き進んで
いた。英才として三菱に入社するが最新鋭の軍用飛行機開発を求められた。堀越が
作りたかったのは人々を楽しませる大空を遊覧する飛行船のような乗り物だった。
画像>パンフ
ジブリの宮崎駿氏は「風立ちぬ」で堀越二郎の半生を描く前にも「紅の豚」と言う
何だか可笑しなヒコーキ野郎を描いている。何で飛行機を題材にしたアニメが
多いのかと思ったら、宮崎氏の父親は三菱の飛行機部門の役員だったらしい。
兄貴も同じところで働いていた。少年の夢は小さい頃から大空を飛ぶことであったのだ。
だからヒコーキ作りの著名なジャンニ・カプローニ伯爵の逸話がアニメでも出てくる。
ヒコーキに美を求めたカプローニを小さい頃知って子供心に慕っていたのだろう。
だからゼロ戦設計者として日の目を見ない(戦後)美を探求した堀越二郎に光を当てたか
ったのだろう。「風立ちぬ」は純愛物語でもあって、恋人(のちに妻)の菜穂子が不治の
病結核になってしまうストーリーも導入されている。然し堀越の設計仕事は多忙で
看病も出来ない状態。飛行機作りは今もそうであろうが燃料削減にわずかでも
重量を少なくすることが求められている。戦前戦闘機は数か月で組み立て即大空へ
飛翔し、開発の連続でより高く、より速くが戦闘に求められた時代。それが勝敗の決め手
となった。鉄の補給もままならない国が鉄鉱石豊富な国と戦うんだから、長期戦に
なったら勝ち目が薄くなることは賢明な軍人なら皆知っていた。何とかなると
思っていたのは陸軍関係者だけだったかもしれない。「風立ちぬ」アニメでも
描かれているように日本は震災に会い、恐慌は最悪で内需ではどうにもならなかった
かも知れない。裸の王様は海外進出を図るわけである。堀越二郎は後年日本製旅客機
YS11製作にも関わっている(設計)
画像>アニメ風立ちぬ

