マンガ小林多喜二の「蟹工船」を読んで

 

長らく夏休み娘孫がUターンしていたので、本やテレビが見られなかった。

 

やっと自由の身になったので本が読め、テレビが見られる。「蟹工船」はプロレタリア

 

作家小林多喜二が書いた小説である。前にもマンガで読んだ気もするがほとんど憶えて

 

いなくて読んで新鮮な気がした。現在も蟹工船は出航しているだろうが、戦前以前の

 

蟹工船は地獄のタコ部屋と言われるように、そりゃ過酷な職場だった。何せ軍隊がバック

 

にいるもんだから経営者側はやりたい放題、労働者なんて家畜以下だった。ろくスポ

 

働き場がなく、金銭を必要としたものが仕方なく労働環境が悪いのを知っていながら航海

 

に出て後悔して働いた。労働組合が発足していたものの初期は何の役にも立たなかった。

 

小林多喜二も悲惨な労働者側に立って小説を書き、講演に全国を廻っていたようである。

 

そこに全国的に知られない伊勢崎に多喜二が講演に来ることになった。伊勢崎は戦前も戦

 

後も大きな都市ではなかったのだが、下層労働者が多かったせいか「戦旗」の愛読者も

 

多かったようだ。なので時のプロレタリア作家・中野重治・村山知義と共に遠方より

 

列車でやって来た。所が左翼運動家一斉検挙を狙う特高が待ち構えていた。

 

伊勢崎に到着するや否や拘束されて投獄されてしまった。怒った住民は多喜二等を即解放

 

するよう要求。警察署周辺には400人以上の民衆が集まり声を大にして解放を迫った。

 

こんな小都市で左翼運動家と住民が警察権力と争った出来事は暫く公になることはなかっ

 

た。然し後年事件を掘り下げる人物が出て来て,回が16回を示すように毎年小林多喜二

 

祭として9月には多喜二研究を主に開催することが通例になった。私は第1回には参加し

 

たが暫く足を運んでいない。多喜二の悲惨な死体画像を見るに忍びない。特高に殴打拷問

 

を繰り返され、遺族に死体が渡された時には全身真っ黒、いかに転向や仲間の情報を得る

 

ため特高が罵って乱打したか分かる身の毛も凍る遺体だった。遺族はデスマスクより遺体

 

を写しておいた方が賢明と考えたのは、この痛ましい著名な作家の黒ずんだ遺体写真が後

 

世伝えられることにプラスになると踏んだからであろう。下記は2008年多喜二祭を聴取

 

しに行ってblogを書き、その時載せた写真記事である。

 

 

画像>

 

今年は久しぶりに行こうか行くま

 

いか考慮中である。会場に入ると多喜二が好きな赤とんぼや♬ふるさとを合唱するのは抵

 

抗ないのだが、どうもインターナショナルも歌わされるのには戸惑う。多喜二が伊勢崎で

 

起こした奪還事件はもうすでに講演が終わっているので、人物研究となるといささか十分

 

な気がしないでもないのだ。いま日本には悪徳特別警察もなく、思想弾圧もないようであ

 

るが、まだ昭和の時代、少数の既成外思想の持ち主は親方日の丸をバックに掲げて、公然

 

と殺人をされていた事実があった。二度と繰り返さないよう後世に伝えるべきだろうと思

 

う。すれば黒化するほどぶち叩かれた多喜二の無惨な死も少しは浮かばれる。

 

 

 

画像>パンフ

 

 

 

 

 

画像>イーストプレス社のマンガ

 

 

画像>人権を訴えるぐんまちゃん

 

蟹工船は昔々山村聡監督の映画を見た記憶がある。ほとんど憶えていない。映画はハッピ

 

ーエンドではなく労働者は弱い、海軍に打ちのめされて「終」となった。原作は知らない

 

がこの漫画は労働者側がストライキを敢行「博光丸」の悪徳監督浅川の追放に成功して

 

「終」ついでに何故カニ缶は缶の周りを紙で包まれているのか?NHKのチコチャンでや

 

っていた記憶があるがカニ肉の変色を防ぐためとあった記憶がある。元々カニ肉は高価だ

 

し、それが例え生カニであろうがカニ缶であろうが庶民の食品ではない.蟹工船と言う過酷

 

な労働の中店頭に並んでいるかと思えば、尚一層食欲は失せるばかりである。