『県立近代美術館所有のゲルニカ』を観に行く

 

朝から雷鳴轟く中、高階文庫主催のゲルニカ鑑賞と群馬の森(一部戦争遺跡)散策に参加

 

した。午前中に群馬の森を歩く予定。昔ここはダイナマイト工場があったんだという話をしつ

 

つ碑などを見聞するはずだったがあいにくの雨で先に反戦絵画ゲルニカのタペストリーを

 

見ることから始まった。ゲルニカは抽象画家パブロ・ピカソ(1881-1973)が描

 

いた大きな絵だが今回展示されていたのは当館所有のタペストリー「ゲルニカ」(328×

 

680)高崎市が1983年9600万円の大枚をはたいて購入したものだった。

 

モノクロで織物だから運びやすく展示しやすい。けど色の劣化を恐れて当館は

 

この作品を多く展示することがなかった。しかし終戦記念日やウクライナ問題で

 

世界が危うい方向に向かっている今日、タイミングよく反戦を訴えるべきと当館は

 

考えたのに違いない。2Fの受付に行くと、この巨大なタペストリーは展示室の奥に

 

あるにもかかわらず、すぐそこにあるかのように鑑賞者の目に飛び込んできた。

 

他の近代美術100点余り展示された中でも目を引く大きさとモノトーンは可成りの

 

求心力があった。事前に予備知識があったにしてもである。

 

ピカソは作品を1937年パリ万博で描くよう依頼されたのだが、すぐには着手できなかっ

 

た。そこにヒトラーの小さな町ゲルニカへの虐殺があって、この巨大な絵画を一気に

 

描き上げたとか・・・。やがて戦火はパリに及びゲルニカの絵は転々とし、ニューヨーク

 

を安住の地とした。ピカソの生誕地スペインに戻ったのは戦後になってからだという。

 

その後ピカソ死後ゲルニカのタペストリーは三枚完成し、そのうちの一枚を県近代美術館

 

が購入した。80年代日本は金余りで絵画や不動産を世界股に駆け、買い漁った時代だっ

 

た。お陰様で長年日本は戦争に巻き込まれることなく、平和に暮らしてきたが

 

近年近隣諸国の三悪国に経済力が出来て、アメリカのにらみも緩くなってきたので

 

いつか何かの拍子に戦争が勃発しかねない状況の中にある。そこにグッドタイミングで

 

反戦絵画「ゲルニカ」の鑑賞会は的を得ていると思った。又今は市民の憩いの象徴のよう

 

になった群馬の森も戦前は軍事施設として殺人兵器を作っていた場所だなんて、殆どの

 

県民は知るまい。ここで爆弾製造に携わった日本人を含めてそれ以外の国の労働者の墓碑

 

があることを認識している人々は少ない。そんな過去の悲しい歴史を怨むかのように

 

朝から涙雨の降りしきる中、ゲルニカ鑑賞と群馬の森(戦争遺跡)散策に参加した。

 

 

 

 

この絵は写実でないので分かり難いが、いななく馬、振り向く牡牛、死んだ子供等が描かれている。ピカソの芸術論「芸術は部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ」と語っている。 

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ゲルニカタペストリー他の2枚は国連本部とフランスのウンターリンデン美術館にある。展示作品は撮影できないので2Fからロビーを激写!尚、私のピカソの思い出の写真は学生の頃見た魚を食べる一枚である。流石に芸術家は食べ方までアートだ!

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