明治天皇を迎えた新町行在所・企画展

 

 

 

 

 

画像:パンフ>

 

金曜日のNHKドラマ「らんまん」を見ていたら、前橋の臨江閣の建物がワンショット写っ

 

た。歴代の天皇が巡行するとお泊りする唯一の御宿だった。と思っていたら新町にもあって

 

明治11年明治天皇が巡行した時泊ったという。

 

 

 

画像:>行在所 令和5年

 

 

 

画像:>新町行在所 明治時代

 

 

 

画像:>行在所の札の展示(縦3寸2尺、横1尺1寸、厚さ1寸 桧材

    表書きは山岡鉄太郎)

 

天皇が巡行で全国を廻る時、必ず立て札を持ち(記念にそこに置いていく)

 

トイレや風呂は持って回るんだそうな。何せ約700人が一緒に巡行し、同じ人数の

 

警護がつくから、その道中は大変な騒ぎなんである。しかも3か月前には巡行の発案者

 

大久保利通が暗殺されているので、警護の厳しさは如何ばかりであったか想像される。

 

令和の世の中幾ら平和になったとはいえVIPの応援演説に想像もつかないような

 

手薄な警護は平和ボケの象徴的な出来事だった。よく自衛隊では70年安保の頃

 

柵外で騒がしくとも夜侵入されたら、それは手抜きと言われた。敵を一人とて入れてしまっては

 

負けなのである。100年以上前の警護は虫さえ通さぬシビアな体制があったと思われる。

 

そんな明治時代、時の天皇は日本近代化を目指す人民のため、多くの人々と

 

接すべく、巡行に要した月日は明治11年だけでも2か月半に及んだ。この時の巡行は6大

 

巡行と言われ規模の大きいものだった。群馬では4日間泊り

 

新町屑糸紡績所(屑糸や屑繭を原料として輸出用の生糸を製造していた)群馬県庁、

 

県医学校、師範学校、座繰製糸所、高崎連隊の観兵式観閲、その時高崎の橋を渡った。

 

それが今「君が代橋」として名前を残す。長野~新潟~石川~京都~名古屋~静岡を廻って

 

東京へ戻った、8月に出発して11月9日のことである。

 

 

 

画像;>大勢の見物者がいた。