面白くて 眠れなくなる 日本語学とは?
面白くて眠れなくなるはシリーズ化されてなん十冊とある。
山口謡二氏は後書きでこんなこと
を書いている。文学部の学生は
企業に入っても役に立たないので、近年ドンドン学部がなくなる
傾向にあるそうだ。私も文学部日文科卒で確かに働く会社では
学んだことは役に立たなかった。そんなこと言ったら学問として学ぶ数学、化学、
物理、美術、音楽・・・ETC専門職に勤めない限り何の役に立たな
い。一般教養だからそこそこでいいと言ってしまえばそれまでだが
日本語教育の国語は何を書き、書いたものを伝える能力を養う
重要な分野なはず。悲しいかな現代では国語勉強時間も小~
中学まで授業時間が我々の時代より少なくなっているそうな。
だから意味不明な短縮語が流行ったり、新聞、本を読む若者が
減少している。スマホで字は覚えられるが直接会話がないので
血の通った生身の人間性無き、生き物が近ごろ大勢を占めて来た。
この本の中に「へ~そうなんだ」と感心した事柄が幾つかあったの
で、羅列して見よう。
―――――奈良時代は「はひふへほ」を「ぱぴぷぺぽ」
と発音。はひふへほが言えなかった。Hの発音は英語でもフランス語でも省略されているのはそのため。私も女房も「は
ひふへほ」と言うのが辛い。江戸時代以降にニッポンを二ホンと言えるようになった。コーヒーとか
フィリピンとか言いにくいですな。だから奈良時代ははは(パパ)
と言います。子供が母上にこういう訳「パパ上、パタケの(畑)の
パナが〈花〉ぴらきました(開き)私は発声練習の中で「はひふへほ」
が一番苦手ですが近年「ぱぴぷぺぽ」が言いにくくなった。パ音は唇に力を入れて発音する訳だけど、若い頃は簡単に言
えた「ぱぴぷぺぽぱぽ」
や「蛙ぴょこぴょこみぴょこぴょこ 合わせてぴょこぴょこ
むぴょこぴょこ」がスムースに言えない。沖縄や宮古ではいまでも
針のことをハリと言えず「パリ」と言う名残が残っているそうな。江戸っ子の天井のすすにたべるすす(寿司)・・。天
井の梁(パリ)におフランスのパリと言うことになりますな。いや~お国訛りの方言❓っていいな。
日本は中国から漢語を取り入れて長い年月が経つ。然し中国語は変化活用しないと言うことは知らなかった。例えば
「雨」➡雨が降るの一点張り。
日本のように「雨が降ります」「雨が降れば」「雨が降りました」
と日本のように動詞の変化がない。逆に言えば物の発想が幅広くないと言える。もっと言えば習近平のように独善的思考
になりがちとも言える。
言語とは文化 であり、人間形成の由縁である。欧米人や中国人が「I」が強めなのはそのためか?日本人は「I」なき語り
で主体性ないと曲解されるのはここに発しているのか。兎に角話す時に主語がない。
誰の話かと思ったら本人ではなく他人のことであったりする。
日本人は主語を曖昧にすることで争いや怨まれることから回避してきた民族的伝統がある。多分これからもそうであろ
う。
主語がないと言うことでいつも引っ張り出されるのが松尾芭蕉の
古池や 蛙飛び込む 水の音 この俳句の主語は芭蕉であり、読者それぞれと言うことで感じて欲しいと言うのが日本語
の特色。
敢えて言わなくったって分かるだろうと言う明快な発想。
日本語のルーツを調べたイギリス人・チェンバレンは日本語の祖語は文献が少ないので、本人が調べたヨーロッパより難
敵だったと言う。ヨーロッパはフランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、
英語、オランダ語は8700年前それぞれ分かれて行ったと言うから
何処か言語が似ている。しかし日本語のルーツについては
紀元前に遡るので難しい。どうやらインドに祖語があるのでは?という程度。将来他国に侵略されて唯一無二の日本語が
なくならないように祈るばかりだ。
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