『吉藤オリィ』オリヒメロボット講演
館林の向井千秋記念こども科学館内に県内最大のプラネタリウムがあるが、
まだ入ったことはない。今は美しい花火のハナビリウムを投影して
いる期間なのだが、その合間を縫って「Rocket トップランナートーク」
と称してロボットオリヒメの製作者・吉藤オリィ氏の講演があった。
然し吉藤氏の体調不良と言うことでオンライン講演に切り替わった。
吉藤氏は子供の頃体が弱く、不登校、引きこもりの人生を3年程味わい、
孤独からの脱却をいつも考えていた。人と接しないと声帯の筋肉は衰え、
段々話せなくなるし、顔が引きつって笑えなくなることも体験で知った。
或る日母親がロボット製作の大会があるから出場することを薦められ、
これに出場したら図らずも優勝してしまい、人生が好転する。
それ以来弱者のために車椅子を製作したり分身ロボットを作った。
眼球で遠隔操作できるオリヒメロボットは吉藤氏の考案である。
本来なら今日持ってきて見せてもらえるはずだったが、映像だけで実物を見る
ことは出来なかった。今ではオリィ研究所を立ち上げ、世界のALS
(筋萎縮性側索硬化症)の患者に使用されている。吉藤氏の本名は「健太朗」
と言うが若い頃から名前とは裏腹に体が弱く、不登校なので名前に違和感を感じていた。
折り紙が好きでロボット会社を設立する時「吉藤オリィ」とした。
工業高校を出て早稲田大学にも入学したが、その同年に「ハンカチ王子」の
斎藤佑樹がいたので、折り紙が好きな吉藤氏は「折り紙王子」と言われそうになったので
頑なに拒否、略してオリィと呼ばれるようになった。斎藤佑樹は神宮で母校を優勝に導き
見事卒業してプロ球界に入ったが、オリィは出席日数が足りなくて、ついに
卒業できず、中退となってしまった。もしどうだろう、体の不自由な学生が家のベッドから
オリヒメのロボットを持って行って貰い、授業に出席していたら卒業できたんだろうか。
コロナ禍で3年間一度も授業も出ず、オンラインで卒業する学生も出て来るんだろうね。
吉藤氏は間が悪かったとしか言いようがない。折角大学に入ったのに、体のことを
考慮して貰えず出席日数の件で卒業できなかったことを今も悔やんでいる様子だった。
でも日本の大学は著名になれば学校の栄誉として卒業の資格をすぐ授与してくれるん
だよね。
画像:吉藤オリィ氏>
一寸話していたが日本橋に「ロボットカフェ」があって、そこではロボットと
会話できる店を経営しているそうだ。アバターでもなくアンドロイドのようなものでも
なく小さいロボットと会話できれば楽しいコーヒータイムになれそうだ。
それがAIではなく遠隔操作でALSの患者とコミュニケすると言うんだから
画期的だ。この前国民栄誉賞を授与されたテニス国枝氏の車椅子もその頑丈な
作りに驚かされたが、まだまだユニークな発想の車椅子はドンドン生まれている。
炬燵を取り込んだ車椅子も考案したそうで、こうなったら車椅子から離れられない。
このまま車体が倒れて寝てしまえる車椅子もあるから、アイデアは何でも具現化しそうで
ある。健康不健康に関わらず車椅子に乗って欲しいと吉藤氏は言っていた。
吉藤氏はオリヒメロボットを思いつく前は主に車椅子の製造を手掛けていた。
本人は使う側でなく、いついかなる時、使う立場になってしまうか分からない。
其の時の為、孤独から逃れる為一心不乱夢中になれる何か、人のためになる何かをしたか
った。最後に数年一緒に働いていた友人番田雄太氏を映像で流してオンライン講演を終え
た。番田氏は2017年28歳、頚髄損傷(4歳の時交通事故)が元で亡くなった。プラネタ
リウムの会場に嗚咽が響いた。遠い夜空の彼方から聴こえるようだった.
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