荒木一郎著小説「空に星があるように」を読んで

 

作詞作曲・歌も歌う、そして小説も書く鬼才・荒木一郎氏が自分のことを書いた

 

小説を出版した。2017年に「まわり舞台の上で」と言う、インタビューに答え

 

る形式の出版物出して以来である。今回も荒木氏が1966年デビューして

 

華やかに芸能界を渡り歩き、一つの事件が元で表立った舞台に出なくなった

 

経緯を高齢ながら感服するほど精力的記憶力で綴っている。

 

しかし本人も登場人物も実名で何処に創作があるのか分からない。

 

1章序曲から第8章転調迄520ぺージ(まわり舞台の上では600ページ)

 

細かい字でびっしり、年寄りが読むには厳しい字体である。’60年代売れっ子で

 

活躍した

 

5年余り芸能スケジュールに沿って、様々な事件や出来事を綴っている。

 

言わば昭和時代の良き語り部の感あり。我々にとって懐かしいタイムカプセル

 

のオープンである。私もどこか荒木氏に似て非なる性癖があって変わり者。

 

普通の人は第1章から読み始めるのだが、私は第8章「転調」から

 

7章「合奏」第6章「カプリチョーソ」と読む進めて、ここで一筆

 

UPすることにした。この手法は2017年に読んだ「まわり舞台の上で」

 

の時も基本1ページからケッコージグザグに読み始めて

 

300ページくらいになった時図書館返却日が来て、読み切れず延長しようと思

 

ったら予約が5名入っていて、次に受けとったのが3カ月過ぎていた。

 

今回はそれを考慮して後から読むこととし、15章は来週以降読破して

 

UPしようと考えた。6章から8章の話は――――

 

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動画>あなたといるだけで♬70年代のクリスマスの夜、付き合っていた彼女に歌って聴かせた歌

 

「空に星があるように」「今夜は踊ろう」「いとしのマックス」の売り上げが

 

専属歌手ビクターで一番多く、ビクターの顔となった荒木一郎が御褒美の

 

ヨーロッパや香港の旅に行った時の話を書いている。

 

旅の恥は掻き捨て、一緒に行ったビクターのディレクターS氏とのハチャメチ

 

ャ旅は笑わせる。’60年代当時フランスのストリップ劇場では日本と違い

 

観客に家族連れや若い女連れは変異なことではなかったらしい。

 

若い女留学生が多く売春目的の客探しに入場していた。

 

日本では踊り子が同性でも入場していたなら、即チラリズムさえ打ち切って

 

早々楽屋の方へ戻ってしまう。ストリップ文化は欧米から伝わったものだろう

 

けど、観客がオール男と言う日本とは次元が違う。

 

その後イタリアに行き知人を介して当時「君に涙と微笑みを」

 

ヒット中のボビー・ソロと会い、帰りがけ香港によって帰国した。

 

大分休暇を取ったので次の日からの仕事がギッシリ詰まっていた。

 

各県での荒木一郎ショー、ファンクラブの作成、巡業では町の顔役との

 

確執があった。いわき市、松本市の悶着が語られているが、これは

 

「まわり舞台の上で」にも書かれ、2017MyBlogにも書いたので割愛する。

 

荒木氏の作詞作曲は意外に瞬間的に生み出されるようだが、根は凝り性で

 

麻雀、将棋(4段)手品、切手となると第1人者となる程の腕前を誇り

 

出版物もある。だから若い時から荒木氏の近くにいた人は彼を

 

「巨匠」「殿」「先生」と嫌味なくそう呼んだ。荒木氏も年上の人に言われて

 

悪い気がしなかったようである。この3章には岩下志麻や吉永小百合との交友

 

がチラッホラッと出て来るが、小百合ちゃんと気安く呼ぶほど慕って感も

 

ある。移転したら住まいが2軒隣りになって、ギターを教える約束をしながら

 

二人共売れっ子で機会に恵まれなかったようだ。グループサウンズ・サベージ

 

のマネジャーをぶん殴った話も出て来る。それが武勇伝の如く話す。

 

荒木氏は舞台での正当なイーブンのアンプの配置を自分のマネジャーに

 

指示したのだが、マグマックスと演奏・歌う時サベージのアンプが

 

中央にあって荒木氏の指示が無視された。それに怒って態度も悪いサベージの

 

マネジャーを営業中にぶん殴ってしまうのだが、ことの真実は兎も角

 

新聞売らんかなの奴らにとって売れる要素満載「又、荒木が暴力を奮う」

 

が紙面を騒がすことになった。ショーケンも悉く悪く紙面を飾る売り上げに

 

貢献するスター東西両横綱だった。章では今陽子(後のピンキー)

 

が荒木一郎ショーの前座で歌っていたことが書かれている。作曲家いずみたく

 

の依頼で巡業同行していたようだ。その後すぐピンキラ「恋の季節」は

 

空前の大ヒットとなった。「夕べの秘密」をヒットさせた小川知子の

 

逸話も面白い。荒木のファンだと言う小川はそれまでほとんど面識もないのに

 

「空に星があるように」を荒木の前で歌った。ある店ですれ違う時荒木は小川

 

に手を握られた。恋人の松山英太郎と一緒の時であったと言っている。芸能人

 

ってやることなすこと大胆だな。又労音の幹部は「人一倍頭脳の優れた」

 

「正確な計算器」「全身に脳細胞の行き届いた」と高く高~く評価している。

 

それを覚えていて50年後に書く荒木氏も優れ者である。

 

43年にはレコードの売り上げ貢献によりロスアンゼルスとハワイマウイ島の旅

 

プレゼントされている。まだ円相場が¥360?海外持ち出し金額がシビアな

 

時代、日本人海外渡航はしりの頃であろう。

 

アメリカ両州は可成り物騒な治安であるにもかかわらず、若気の至りか

 

単独でレンタサイクルなんか乗り回して観光したようである。

 

私も’70年代オアフ島へ行った時単独でレンタサイクルを借りてアラモアナシ

 

ョッピングセンターに行ったのはいい思い出である。海外旅の思い出は

 

如何に大胆な遊びをするかが大事である。(勿論合法的に)

 

暮れの紅白歌合戦も2度目の出場が可能になる程人気者になったが

 

秋頃?日比谷公会堂で公演中骨折してしまった。固いNHKでは

 

車椅子の出演は前例がないので断念せざる得ないと諦めていたが

 

年末にはどうにかギブスは外れて「いとしのマックス」を歌い納めることが出

 

来た。意外な感じだが荒木氏は年末のケジメとして歌手は紅白での歌い納めは

 

非常に大事だと語っている。書き足りないことは山ほどあるがここらで

 

荒木一郎小説「前編」の終わりとしたい。

 

 

 

 

 

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荒木氏は遣ること何でも万能、女にもてることを人並み以上と自覚し、吹聴する。

ずっと怖い者知らずの人生だったが、年の取り方だけは人並みだったようである。

田中邦衛氏と間違えそうなヴィジアルに変身していた。今後の活躍を期待するものである。

尚第1章から第5章は読後直ちにUPいたします。悪しからず。