群馬の魅力を再発見 赤城山 講演
今日は講演が2つあり、どっちにしようか迷った。
ひとつは高崎Gメッセでやる「軍事大国日本に未来はあるのか」講師は
群大名誉教授の山田博文氏。もう一つが共愛国際大学公開講座
矢島宣弘先生の「ぐんまの魅力を再発見!」
当初は前者を予定していたが、後者の方が家から最寄りなので行くのを変更した。タイトルは「ぐんま」らしさを探す
旅とあるが、サブタイトルに
赤城山と赤城山が生んだ麓の暮らし。約70分。
群馬に住んでいながら赤城山のことを知らない自分にとっては内心
へぇ~へぇ~の連続だった。
そもそも現在住んでいる伊勢崎がかろうじて赤城山南麓ギリギリの位置にあるとは知らなんだ。南麓は沼田市から
35km圏内。南麓は伊勢崎と言っても
北伊勢崎であろうが何十万年前流れて来た土砂なり、火砕流なりが伊勢崎の地べたの下にあるに違いない。カルデラを
中心に山の面積は広い。
赤城山は1828mの山だが富士山3776mの裾野長さと変わりがない。あちらは向きんでて高さがあるだけ。私は幼年時
代前橋に暮らしていて、いつも赤城山を眺めていたが、赤城山と言うのは一番特徴ある凹んだ鍋割山のことを指すのだ
と長年思っていた。そしたらそれは間違いで黑檜山や地蔵岳、駒ケ岳等の連山を総称して赤城山と言うのだそうだ。形
が美しいだけに日本百名山に指定されている。若い頃から登山の経験がないから中年になるくらいまでずっと
国定忠治が隠れていた赤城山と言えば、前橋からよく見えるダイダラボッチが腰かけた鍋割山が赤城山だと思ってい
た。
画像:チラシ>
話しは赤城山から、この上にある赤城神社に触れた。
私が8年ほど前、神社御朱印の始まりは冬の大洞赤城神社だった。
スタッドレスタイヤを履いて迫力あるドライブだったな。だから一冊目の御朱印帳は赤城神社発行である。その又数十
年前は三夜沢にある赤城神社へ名水を取りに行った。その水で自作ラーメンスープなど作ってみたが、大きな味の変化
は見られなかった。上武国道沿いにも二宮赤城神社があったり、随分信仰する信者の為に広範囲に鎮座しているんだな
と思っていたが、群馬県内だけにあらず(118社)全国に沢山あることも分かった(334社)。
特に驚いたのは東京の神楽坂にあることをテレビでやっていたのを思い出して
あそこは思い出の地なので、今度東京へ遊びに行った折には是非寄ってみたい神社である。飯田橋駅は東京にいた頃、
よく乗降して「佳作座」という
名画館で映画を見た。ランチにカツカレー蕎麦と言うメニューの蕎麦屋があって、田舎人には凄い発想だなと感心して
よく食べた。昭和元禄の話である。
兎に角神楽坂の赤城神社も古そうなので、戦前までは赤城山や赤城神社の参拝客は多かったと推測される。
講演はぐんまの魅力再発見ということなので、赤城山登山のみならず
キャンプ、ワカサギ釣り、スキーで年間100万人は来訪した時代もあったこと。
空っ風のメッカ群馬では屋敷林に様々な樹木の位置に特色があること。
赤城山南麓の水利(主に利根川)は南下すればするほど盆地過ぎて不便を要したので
昔人は灌漑用水を作らなければ畑作が出来にくかったこと。
製糸業が盛んな土地は同時に養鯉業が盛んなこと。
何故?いらなくなったカイコの蛹が鯉の餌になるため、養蚕の土地では養鯉も多いだそうな。茨城の霞ケ浦、福島郡
山、長野の佐久・・・佐久の鯉太郎と言う橋幸夫の歌、テンポが良くて好きだったな。4位くらいに群馬が入る。
確かに灌漑用水と思しき各々沼には鯉を泳がせていたなと言う印象がある。
講演はもう一つ村田敬一先生の「ぐんまの寺社建築の美―近世寺社建築の価値の見方」があったが、もう何回も聞いて
いるし、近頃膀胱に2cmの尿石が鎮座まして尿意頻繁、時に血を見るので今日は遠慮させてもらった。本心は聞きたか
った。しかし席はトイレに近い場所を選んでは見たが、気もそぞろで講演を聞きに行く気分ではなかった。村田先生済
まない!
テンポが良くて、好きな歌だった。🎵

