『北朝鮮から奪還 蓮池薫』講演
画像:チラシ>礼拝堂高く掲げられた十字架の下、20年間北朝鮮に拉致され、生活した苦労を蓮池さんは淡々と語った。(写真撮影は禁止)
北朝鮮が1970年代後半、日本に限らず、他国の若人を次々拉致したのは何故だったのだろう?金日成から金正日に代
わる時、スパイ強化に熱を上げた。
北朝鮮のスパイは各国に散らばってはいたが、優秀なスパイがいなかった。
そこで考え出されたのが、それぞれ各国から拉致して訓練すれば、母国語はばっちりと思った。所が1987年11月大韓
航空が爆破され、日本人を装った
二人の男女が逃げそびれたことから、日本人拉致の問題が浮上した。
爆破犯人の金美姫が日本人名田口と言う女性に日本語を習ったと言うのである。
ここから日本海側で不明になっていた幾人かの人々が北朝鮮に拉致されていた事実が出て来た。時は日朝国交正常化の
時代が来た。日本は中国や韓国とも国交を結び、次は北朝鮮と言うことになる。日本の景気は良くなって韓国には賠償
と言う意味で5億ドル支払った。北朝鮮がこんなおいしい話に乗らぬはずがない。水面下で交渉して時の首相小泉純一
郎が北朝鮮に飛んだ。
拉致している13人を全て帰すよう会談した。そしたら北朝鮮の回答は
8人は死亡、5人は生存と言うことで、蓮池薫氏は奥さんと共に帰国することが出来た。
蓮池薫氏はどのように拉致されたのか?
中大法学部の3年生蓮池氏は夏休みで実家の柏崎に帰っていた.1~2日前柏崎花火があってその混乱に紛れて、屈強な北
朝鮮スパイ団は上陸していた模様と蓮池氏は推理する。まさか国上げて他国の人を誘拐するなんて、予想だにしない。
誘拐するにしても女性は兎も角男性は何の役に立つんだ!が一般常識。
蓮池氏も4人組の暴漢に襲われた時、一瞬それが頭をかすめた。男は海に落とされてしまうんだろうなと思った.然し
話す日本語のアクセントが変!
アッ❔外国人に誘拐されたんだと思ったと言う。
1000km離れた北朝鮮ピョンヤンの招待所に押し込まれて、スパイ工作の教育が始まった。恋人の後に奥さんになる人
とは切り離され、一人生活で監視のおばさんが付いた。その後転機が来る。スパイとして教育したレバノン人やマニラ
人が相次いで指令を受けて海外に出たが、大使館に逃げ込んでしまった。
そこで拉致者はスパイに出来ないと判断された。
1988年蓮池氏のスパイ教育はストップし、翻訳業に回されることになった。
それを2002年頃までやっていると所により黒塗りの場所はあるものの
読売新聞を翻訳すると、日本で北朝鮮に拉致された家族会結成の書き込みが小さく載っていて、自分の両親が載ってい
るのを見た。其の時の喜びは計り知れないものがあった。後招待所からピョンヤンの一等地へ引っ越しさせられ、勿論
奥さんと子供二人も一緒だった。然し子供は主に寮住まいだったが・・・。
やがて日本外務省の役人が来て、本人確認に色々尋ねて帰った。本物か昔の友達のことや実家の構造についてあれこれ
尋ねて行った。そんな経緯があって母国へ一時帰国することになった。
画像>海を見ている蓮池氏、複雑な思いで朝鮮半島が見える。
昭和53年7月30日に拉致されて、あちらで粗末な食物しか食べなかったから、恋しいと思った食べ物は納豆、梅干し
、金平牛蒡だった。食品は殆ど配給制なので、中々他の食品を買うことは困難だった。キムチだけは漬ける時、キムチ
休暇があった。大量のキムチを冬に食べる為自作するのだが、手が荒れ顏が腫れ、大変な思いをして製造すると言う。
冬はマイナス10℃位になるが、停電もよくあるため凍死者も出る。木を切って来て薪にして暖を取らざるしか生存の見
込みがないようだ。或る時テレビを見ていたら「♬イムジン河」が流れて来て、
新潟にいた頃聞いた曲なので嬉しかったそうだ。それ以外は金親子を讃える歌ばかり歌わされていた。祟る歌ばかりな
らいいが自由のない国は他人の顔色ばかり、探るような目つきで暮らしている人ばかりで、日本で暮らすようになって
から中々抜けきらなかったと言う。現在蓮池氏は教壇に立っているせいか
大きな声で講演するので寝ている人はいなかった。拉致問題は今だ帰らぬ方がおられて、4人家族全て帰国した蓮池さ
んにとって、他の家族に申し訳ないと思っているのか、この辺を語ると涙ぐんで振り絞って苦しそうだった。講演は
ドンピシャ90分、質問コーナーなく閉会した。
画像:>蓮池薫さんは翻訳業もしている。拉致された国の言葉を再起の礎にしなければならない苦悩がある❗




