中村哲物語」を読んで

 

中村哲さんのアフガニスタンでの業績は余り日本人には知られていない。多分医療に励み、用水路を作り、物騒なアフガ

 

ニスタンで

 

射殺されたことを知るアフガニスタン人もそう多くはあるまい。

 

中村哲さんのアフガニスタンでの思い入れはシュバイツァ博士か

 

野口英世ドクターのアフリカでの業績に匹敵するものである。

 

でもアメリカ貿易センターの痛ましいテロ以来、アラブ人に

 

向けられる視線は冷徹になった為、アフガニスタンの国土が

 

旱魃に襲われ、飲むもの食べる物が不足しても、そんなことは知ったことか、国際世論はそうなった。餓死する報道もな

 

い、国民は生死の狭間にいた。そこでボランティアと共に中村哲さんは

 

医者でありながら、水不足に悩む人々のために

 

井戸を掘り、危険を承知で重機を使い、大河から水を引き

 

用水路を作って流れるように掘削した。指導されればやる人はいても、自ら動ける人はアフガニスタンにはいない。無

 

学・無知は

 

其れだけで犯罪であるの由縁である。何百年も同じ経路を辿る国々は多々ある。その建設作業に行く途上

 

何者かによってボランティアの人共々、中村哲さんは射殺された。

 

201912月のことである。今以て犯人は分っていない。

 

余りアフガニスタンが栄えては困る人々の計画的所業であろう。

 

アフガニスタンはずっと戦下で貧困であった方が得策と考える

 

他国は多いかも知れない。偶然出くわすとは到底思えない。

 

 

画像:福岡生まれの中村哲さんの叔父さんは作家の火野葦平氏だった。>

 

中村哲さんのことで覚えていることがある。幾ら彼の報道が少なくても国会で答弁したニュースは頭に残っている。それ

 

は氏名が

 

当時私が卒業した学校の総長と同姓同名だったからである。

 

ニュースでは中村哲氏が答弁の中、貿易センターテロの後だったので、アメリカに追従する我が国は議員の罵詈雑言が国

 

会内を渦巻いた。この時は恒例の眠っている議員はいなかった。憎きアラブ人を擁護する中村哲さんは悪者だった。それ

 

が食糧・資金援助を答弁したものだから国会内は怒号と化した。孤立無援の中、中村哲さんは真摯に貧民愛をとくとくと

 

述べ、戦争やテロと無関係なアフガン人9割が病気や飢餓で苦しんでいる状況を説明した。

 

それから後、日本も援助物資を送ることになった。

 

中村哲さんの生涯をちょっと綴ってみると―――

 

子供の頃は昆虫博士になるつもりだった。

 

中学がミッション系学校だったので人道主義が芽生える。

 

医学部を卒業すると登山隊に同行してパキスタンに行く。

 

そこで多くの医療に掛れない貧民の存在を知る。

 

ペシャワールミッション病院でハンセン病患者の治療に当たる。

 

アフガニスタン無医地区に診療所を開設。

 

ここからが医療だけではこの国の人々は救えないと用水路作り等先頭に立って活動する。その結果がアフガニスタンの地

 

で何者かによって射殺され,彼の地に眠ることになってしまったのである。

 

中村哲さんは目の前で医療を必要としていながら掛かれない病人を見たら、手を差し伸べなければいけない。黙って見過

 

ごすことが出来ないと本に書いている。今の私の年令で世を去ったが、日本にとってもアフガニスタンに取っても大事な

 

人を早く失くしてしまったのである。

 

動画:予告編>