『フリーキャスターはば ひろここと木場弘子』講演
ハーモニーネット主催、男女共同参画講演が3年振りに開催された。
本日の講師は元中日で豪速球投手と謳われた依田剛氏の奥さん
木場弘子氏。何で「はば ひろこ」と言われるかと言うと
依頼された仕事は断らない、何でも幅広く引き受ける。
実際TBSでキャスターをやっていたのは5年ばかりで、後は独立して
30年余り、♪花よ 蝶よと騒がれた女性初のスポーツキャスターも
当年取って57歳。女性として初めて球場内に足を踏み入れ、野球選手の
取材を行った。同業の男子スポーツキャスターから強いジェラシーを感じ、
プレーヤーからもバカにされて、必死にもがき苦しみ、寝る時は泣いた。
まだ昭和は男尊女卑の色濃い時代だった。其の時お互いビ、ビ、ビと来た相手が
中日のリリーフエース依田剛氏だった。ケータイのない時代お互いの身分を隠す為、木場は依田に連絡する時「スポーツ新聞社の
者」と語り、依田は「電通の者」と偽って繋いでもらったそうだ。恋愛は障害があってこそ強く結びつく。
容易に連絡が完了する現代はいつでも変わりがいるので長続きしないとも言える。二人には一人息子を授かっていて、木場氏はそ
の子を産んでから30数年ずっと坐骨神経痛に悩まされてきた。それは出産した時生まれた息子が4400kgもあって、その時の難
産が原因らしい。生まれた息子も1~2週間ICUに入りっぱなしで生と死の狭間を彷徨った。今は後遺症なく息子は元気なのだが
木場氏はずっと立ち続けても座り続けても腰が痛むので、立ったり座ったりして講演したい旨、最初に話された。
画像>パンフ
講演では野球に関することはあまり話さなかったがスポーツキャスターとして
プロテニスプレイヤー松岡修造のインタビューについて思い出深く語った。
松岡が世界ランキング50位に上昇して来た頃、半月板損傷で長いブランクがあった。久しぶりのスーパーテニスで当たった相手
がランキング30位の選手、松岡は300位に落ちていた。下馬評はストレート負け、しかし松岡は頑張り
番狂わせ❔かの大奮闘を見せた。結果はフルセットで惜敗したが、試合後の独占インタビューの役目が木場氏に任された。然し話
を聞くほどに松岡修造は号泣。あのノー天気なキャラクターとは程遠い顔をくしゃくしゃにして大泣き。
さぞかし負けて悔しかったんだろうと思いきや、後で聞けばそうではなかった。
上司には泣かせておいてのインタビューの方が視聴率は上がったのにな、と言われるし、松岡は体調不十分の中でこれだけ善戦で
きたことに感激の涙を流し続けてインタビューに応じてくれたのであった。スポーツ選手へのインタビューはこのように難しい問
題を孕んでいる。事前に勉強しておかないと相手にそっぷを向かれることもしばしば。他局の女性キャスターでヤクルトの広沢と
池山コンビをインタビューする時、逆に呼んでしまったら主砲広沢克己は怒ってスタジオから出て行ってしまったことがあったそ
うな。こんな初歩的な間違いをしたら誇り高き野球選手は怒るか、帰ってしまう。
講演は90分の予定であったが、伊勢崎市民の聴取の受けがいいのか、木場氏は気に入って気分よく10分程度延長してくれた。
講演者の中には時間きっちりで帰る人、客の反応がいいと気前よく長々話す人、2タイプあるが木場氏は後者だった。私は90分に
なるのでそろそろ帰り支度をすると、木場氏は与田氏が阪神に入った時の話をされて、一家三人が大阪に移転するのは難しい。何
故なら浦安にマンションを買ったばかりだし、大坂ではセキュリティのある賃貸は月額20万円かかる。木場氏は球団に問い合わ
せて阪神独身寮に入れて貰えないか交渉を試みたが、前例がないと断られた。
其れなら当時監督の野村さんとサッチーに掛け合ったら上手く行くかもしれない。そしたら月額5万円飯付きで独身寮に住み込む
ことが出来た。(2000年)
こういう一事が万事肝っ玉母ちゃんキャスターなのであった。木場氏の父親は外国との取引に世界各国を駆け巡る仕事をしていた
ので、木場氏は日本でも
何カ所か住まいを変え、外国ではオスローにも何年かいた経歴を持つ。
日本人の中でも帰国女子は国内しか知らない人より思考力に幅があり、パワーが違う。男女共同参画講演には一番適任、説得力あ
る講師を今回お呼びした。大変有意義で楽しい時間を共有できたことを感謝したい。
画像>子供が出来た頃の与田・木場夫婦➡新米ママ&パパへ送るメッセージから
古田敦也―中井美穂、小早川―赤間、元木⊷大神,石井一久ー木佐、イチロー~福島、高橋由伸―小野寺
二岡~用稲、松坂―柴田、前田健太―成島、菊池雄星―深津、・・・・・実に多い女子アナと野球選手カップル。
翔タイム大谷も村神様も年上で女子アナのおかみさんを貰えば野球人生万々歳!


