昭和のプロレス人気を担ったA・猪木逝く

 

昭和の時代ジャイアント・馬場とアントニオ・猪木コンビは最強だった。

 

 

馬場の16文キック、猪木のコブラツイストはテレビで食い入るように見ていた

 

 

中・高時代がある。やがて両雄相塗れず、それぞれ別々のプロレス会社の

 

 

社長になり、経営者でスターとなりリングで活躍された。力道山入門は同じでも

 

 

年令で幾つか上の馬場さんは大分前に先立たれ、糖尿病でありながらずっと

 

 

リングで戦い続けたA・猪木は闘魂逞しい超人であった。

 

 

画像>

 

A・猪木が急逝されたのを知らなくて某図書館へ行ったら-4冊の「馬場と猪木」が

 

 

お薦めコーナーに並べられていた。へぇ~新刊かと思って手に取り、本の後ろを見たら

 

 

1997年東京スポーツ元記者の著書だった。プロレス盛んな’60年代東京スポーツを買いに自転車で中央前橋駅まで(上毛電鉄)

 

 

買いに行ったもんだ。あの頃貴紙は一面プロレスの話題満載だった。現在は読書の秋になって読まなければいけない季節なのだ

 

 

が、本は積読状態にある。でも取り敢えず借りておこうと4冊の内2冊を借りておいた。

 

 

その帰り道カーラジオでA・猪木の悲報を知って4冊が陳列された図書館司書の優しさが伝わった。

 

 

A・猪木は若い時からリング・パフォーマンスはファンに熱いメッセージを投げつけるレスラーだった。ファイティングポーズ剝き

 

 

だし、形相が一変する強い自己主張、ピューマのようなスピードで敵に襲い掛かる野獣性は絵になった.馬場のスローテンポと違って猪木のハイ

 

 

テンポは

 

 

昭和のスター、テレビ時代そのものだった。異種格闘家の猪木は良く馬場さんと戦うようアピールしたが、二人は有名になればなるほど、実

 

 

現は遠のいて行った。若い頃は当然、二人は前座で戦ったことがあったが、年長の馬場が勝っていたように記憶している。

 

 

 

画像>若い頃の猪木二点日本プロレス史の目撃者「原 康史」著作より借用

 

 

もう若い頃の馬場と猪木最強コンビはビデオでしか見られないけど、我々はリアルタイムで観られたことに幸運と歓喜を忘れな

 

 

い。決め技馬場の32文キック猪木の卍固め。いい時代に二人がブラウン管所狭しと外人レスラーをぶちのめしてくれたことに感謝している。猪木の御冥福をお祈りする。合掌!