戦争と食料 講演会

 

近年比類無き大型台風が接近する雨の中、高崎で「戦争と食料」の講演があった。開催の連絡を受けた時、悲惨な戦争の情況を再

 

 

び聴取するのも気が進まず、遠慮しようかと思っても見たが、鼻っ先は北公民館を目指していた。

 

 

画像>パンフ

 

目次 1 食べられない悪政が戦争を起こします

   ② 「戦争中の食事」

   3 戦争中の食糧生産

   ④ 戦争中の調理の工夫

    食糧の自給率が38%

   6 空港の軍事使用反対

 

講演内容を概略説明いたしますと――――

 

②高階ミチさんは終戦時5歳だったそうですが、ひもじい思いではないそうです。山羊・鶏は飼っていたし、雑草や虫を佃煮を作

 

 

って食べた。

 

 

庭には柿、梅、琵琶、桃、銀杏、胡桃がなり、河川敷を利用して栽培もしたと言う。米を作っている農家は都市から食物を求めて

 

 

 

多く来るので、あらゆるものと交換できた。

 

④戦時中以降は配給制で思うに食べたいものが食べられない時代になった。

 

 

配給米は玄米で白米にしたければ、一升瓶の中に玄米を入れて長い棒で突っついて皮むきをするけど、容易いものではなかった。

 

 

芋の蔓や葉等今迄捨てていたオカラの饅頭、どんぐりのパン、稲わらをすり鉢で粉にして小麦粉や海藻に混ぜて食べた.ノコギリ

 

 

屑やフナ虫、鼠さえ国が食うことを奨励した。それでも腹が満たされることはなかった。十年前ほど餃子に段ボールを水増して商

 

 

売する中国商人がいたが、日本の終戦時は喰うものが何もなかったのである。

 

 

202210月食料品は軒並み上がる。電気・ガス・保険料もUPするし

 

 

21世紀最大の値上げラッシュとなる。食料品の殆どを輸入で賄っている日本はもし食料品が届かなくなったら、まず貧民層から

 

 

餓死が始まり、暴動が起こり始めるだろう。幾ら政治に関心がなくとも食べる物が入手できなくなったら、弱い人間でも暴れ出

 

 

す。自給率38%が長い間、この国の課題で政策打つ手なしの付けがやがては回って来る。それでも農地や耕す農民は減る一方

 

 

だ。

 

 

農業って仕事がキツイわりに、実入りが少なく、多く人が背を向けて後継者が跡を継がない。昔は豪農がいて自分は働かず、借金

 

 

の肩に取り上げた土地を小作人に働かすシステムがあったがGHQに廃止された。今後の農業への取り組みが国の存亡を握ってい

 

 

ることは確かです。

 

 

講演の前にリラックスする為か、視聴者が高齢の人ばかりなのか、海は広いな

 

 

大きいなを歌いながらグーチョキパーを出しながら歌わされた。グーチョキパーを交互に出すのは容易かったがパチョキグー

 

 

と反対で出して歌うのは前者より多少困難があった。脳軟化して来ているのかな?

 

 

後、資料を読んで面白いと思ったのは高崎えびす講は大恐慌(1929)が始まった年からだった。近年コロナ禍で中止しているが

 

 

高崎神社えびす通りから始まったのでこの名がある。

 

 

鉄砲玉製造にお寺の鐘や銅像を供出した話は二宮金次郎像追っかけ時知ったのだが、重要物資購入に金持ち家庭の金銀、ダイヤ迄

 

 

供出していた話を今日始めて聞いた。金属供出令で得たものがどれだけ兵器に切り替わったか、知る由もないが、金銀ダイヤの内

 

 

ダイヤは100万カラット接収したが1941年以降貿易もままならず、戦時中日銀の金庫を開けた時には約16万カラットしか

 

 

なく、完全にネコババされていたそうだ。アメリカは兵器製造に国民に債券を売って戦争協力を求めたが、日本は無理槍泥棒して

 

 

行って活用しなかったのだから、当然戦争の勝負は始めから決まっていたと言えなくもない。