戦後77年 太田戦争記録展

 

毎年終戦記念日近くになると群馬各地で二度と人々が悲惨な目に合わぬように

 

 

願いを込めて、後世に伝える戦争記録展が開かれる。

 

 

2~3年はコロナ禍で開催されなかったが、今年は再開されたようだ。

 

 

伊勢崎でも毎年実物?の焼夷弾が展示される伊勢崎空襲展をやっていたが、今年はどうなってんだろう?私が見逃したのか、開催

 

 

されなかったのか、分からない。

 

 

たまたま今日の読売新聞に太田市強戸で戦争記録展が2日間のみ開催されていると言うのでやって来た。

 

画像パンフ>

 

 

 

 

画像展示模様>

 

資料展示は細かい字や航空写真が多く、視力が乏しくなった私には難儀だった。

 

 

しかし展示資料はスキャンしたパンフで記す通り、太田の空襲のみならず

 

 

足利や熊谷、中国人や韓国人の強制戦争参加?今ちょっと話題になっている

 

 

群馬の森の朝鮮人追悼碑撤去問題も絡めて、重く、沈む課題が浮き彫りにされていた。

 

 

群馬の森の追悼碑のことはたまに群馬の森を散策するので、ここが歴史的悲哀な場所で

 

 

あることは知っていた。ダイナマイトや爆弾の製造・実験をして敵と戦うのでもなく

 

 

幾多の尊い命が失われた。日本人以外の人もそうだ。そういう歴史的事実を後世に伝えようとしてそこに追悼碑を戦後を建てたと

 

 

伝え聞く。群馬の森の隣の火薬研究所には

 

 

今尚戦争遺跡の建物が森林の中に悍ましく眠っている。77年経っても亡霊のように浮かび上がっているのを私は何度も群馬の森側

 

 

から覗いた。戦争遺跡がそのままその位置にあることは戦争経験者や戦争を知らない私達でも戦争が終わっていないことを意味す

 

る。

 

 

記録展代表・石原氏の話を聞くとサイパン島を出発した爆撃機は利根川ずたいに

 

 

太田~伊勢崎~前橋~高崎を爆撃し、同じ経路で戻った。機体がやっと持ち上がる程の爆弾を乗せて・・・・・。太田のある場所

 

 

ではひと塊、50本の不発弾が戦後発見されたことがあったそうだ。それを自衛隊(相馬ヶ原)が処理して演習地まで運び爆発させ

 

 

たと言う。

 

 

不発弾は77年経っても爆発するもので爆弾処理班が来ないことには危険。

 

 

内戦の多い国々が敵側に地雷をばらまく恐怖と同じなんである。そう意味からも

 

 

まだ戦争はまだ終わっていない。

 

 

コロナ禍・パラリンピックの最中に起こったプーチンプッチンプリンの悪行、似たような独裁者習近平の香港や台湾、尖閣諸島へ

 

 

の嫌がらせ、核実験やミサイル発射を繰り返す

 

 

顔面積は広いが小物の金正恩。3つの怪しい雁首揃って極東の島国我々の心身を脅かしている。北方の緊張と恐怖はいつ打ち消さ

 

 

れるんだろうか?地図の上ではバッサリ切ってスッキリできるが現実はそう簡単に解決できないところに77年前のような不安が甦

 

 

る。

 

 

 

昨日は激しい雨の中、3年振りに伊勢崎花火が上がった。

花火の音を聞くと爆弾の音が思い出されて嫌う

戦前・戦中派の人も多い。でも花火の打ち上げは

亡くなった人々への悲しい鎮魂。花火の美しさと響きが

あの世にいる戦没者等の供養になれば・・・・・。

あなた方の犠牲を無駄にせず、今ある平和を長く維持して

行くことが後世我々の使命。テレビ画面で打ちあがる花火と

楽曲を視聴してしみじみ平和の有難さに感謝した。