『二刀流大谷翔平・ベーブルースに並ぶ』
遂に大谷が104年ぶりにルースが建てた金字塔に並んだ。
二桁ホームランに二桁勝利。二桁ホームランは個人的技量だから、
すぐ達成できたが、二桁勝利は弱小球団故に中々達成が難しかった。
これがもっと上位にいるチームなら昨年全米は大騒ぎしたことだろう。
ベーブルースはメジャー入り1914年レッドソックスから始まった。
その頃レッドソックスは最強無敵でホームランは兎も角、勝ち星は
1915年から二桁勝利し始めていた。然し二刀流でも当時大リーグの球は
重く、ルースがホームランを二桁に乗せたのは1918年のことだった。
この年これでホームラン王になり、13勝を挙げて、アメリカ人二刀流の使い手になったのである。然し1919年借金まみれのレッ
ドソックスは売り出し中の
ベーブルースを50万ドルで新興ア・リーグ ヤンキースに売り渡すことになる。これからヤンキースは怒涛の黄金時代が始ま
り、百年近く今以て大リーグの盟主に収まっている。当時自分の球場を持たないヤンキースがこれまで
繫栄出来た礎はホームランを連発するそんな人気者ベーブルースに負う所が多い。そんなビッグネームの大恩人の記録に並んだの
が日本から出稼ぎに
海を越えた元日ハムの大谷翔平なのである。大谷は余程打力・投球に自信があったのか、プロ入りする時から二刀流でやれるチー
ムを模索していた。
高校球児の大部分はエースで4番が多く、プロ入りしてどっちをやっても
大成するプレーヤーが目白押しの中で、その意志を貫き通したのは、近年大谷だけである。どの球児たちもプロに入れば投手一本
に絞り、慣れない野手の練習をして打力を生かし転向して行った。1年130試合余り、打者と投手では体の調整が難しく、一本に
絞ったほうが賢明と識者は言い,OBは口酸っぱくして言った。然し岩手の少年は既成の概念に拘らず、これを打ち消し、実証し
て見せた。その素質と努力たるや並大抵ではない。きっとルースもそうであったに違いない。大リーグの試合は日本の連戦より厳
しい。日本はせいぜい北海道から九州、アメリカ本土は広く、寒暖差もあり、試合数も多い。
それをクリアしての記録達成は驚異と言う他にない。超人的な肉体・精神力である。人間的にも優れ、嫌味なく素直で、誰からも
愛されて、一番怖いのは怪我である。そして周りのひがみである。それを乗り切って二桁勝利二桁ホームランを2年、3年と連続
で達成して行って欲しい。
写真4枚>報道ステーション&読売新聞
エンゼルスに残ると二刀流は可能だが、弱小チーム故に2ケタ勝利のみが心配だ。それに投手なのに足が速いからと言って、矢鱈
盗塁するのもヒヤヒヤものだ。大谷にとってラッキーと言えるのはルースは何故、2桁ホームラン2ケタ勝利が1年しかなかったか
と言えば、1920年にヤンキースに移籍すると
ファンがルースにホームランを期待するようになった。レッドソックス時代
江川卓のホップするような球で大リーガーの打者を惑わせていた球速に
陰りが見え始めた。それが原因でヤンキース時代投げる機会が少なくなった。
大谷がいつまで今の球速で投げられるか?ホームラン打ちは技術と体力だから
2桁打ちは続いて行くだろうが、日本人初のホームラン王になれるだろうか?
ルースはヤンキース時代ホームラン王12回に輝いている。
1927年ホームラン60本打てたのも後ろに4番強打者ルーゲリックがいたからである。日本の王さんもルースや大谷と同じ、歩
かされる四球が多かったが
後に長嶋茂雄がいたから、少しは勝負して貰えた。
大谷は弱小チームで1番や2番を打つことが多く、5回まで勝利投手の権利を得ていても、後続の投手が打ち込まれて勝利の女神に
見放されて来た。
勝ち星はエンゼルスにいる以上毎年2桁前後になりそうだが、長嶋茂雄や沢村栄治の様に記憶に残るプレーヤーにはなれる。最近
暗いニュースが多い中、
大谷のホームランだけが唯一明るいニュースである。ただ外国であることが歯痒い。日本ではヤクルト村上が60本打ってくれれ
ばニュースになるぜ。
資料>ベーブルース 不滅のホームラン王 集英社
バンテリンのイメージキャラクターとツーショット>







