『大谷、ルースは知ってても鈴木惣太郎は知らない?❔』

 

残念ながら先日レンジャース戦、大谷は野球の神様ベーブルースが残した104年ぶりの偉業を達成することは出来なかった。

 

そして残念ながら連日報道される二人の名前は知っていても、

 

群馬伊勢崎出身の鈴木惣太郎の名前を知っている人はゼロに近い。

 

惣太郎が読売新聞の祖・正力松太郎の命を受けて、アメリカに飛んだのはベーブルースを日本に呼んで日米親善野球をするためだ

 

った。

 

その後日本で職業野球の曙となり、巨人軍が誕生した歴史を知る人は少ない。アメリカではルースが登場する迄、人気は今一つの

 

大衆スポーツだった。ベースボールを国民的人気スポーツにしたのは

 

ホームラン打ちのルースの登場が寄与することが多い。

 

それまで黎明期アメリカベースボールはヒット、俊足、超美技の守備、その代表がタイカップだった。

 

地味なイチロー風野球が主流だった。然しホームランでゲームはひっくり返り、勝敗の面白さをファンが知るとホームランを打て

 

る打者に対する期待と興奮は頂点に達した。レッドソックスからヤンキースに移ったルースが矢鱈ホームランを打ち始めると野球

 

人気は急上昇した。その頃のボールはデッドボールと言って飛ばない重いボールで投手有利に出来ていて、せいぜい十数本打てば

 

ホームラン王になった。その頃20本以上ホームランを打つ打者は少なったのである。ベーブルースのことは後日、大谷が二桁勝

 

利二桁ホームランを記録した日に又綴るとして本日はベーブルースを日本に招くことによって、日本でも野球人気に火を点けた鈴

 

木惣太郎の功績についてちょっと触れたい。

 

惣太郎は英語が堪能でニューヨーク勤務の傍ら、ヤンキーススタジアムでベーブルースの活躍を生で見ていた。勤めていた会社が

 

解散し惣太郎は帰国して読売に入社、そこで大リーグのことを執筆した。それが正力松太郎の目に止まった。日本では早慶戦(六

 

大学)も始まったばかり、高校野球は朝日新聞(夏)、毎日新聞(選抜)が力を入れて読売新聞は野球とは無関係な新聞社だっ

 

た。そこで正力は考える。

 

日本にも職業野球を根付かせてみては・・・・・・、それには本場のアメリカベースボールを日本の人達に生で見て貰おう。

 

それもアメリカで人気スターベーブルースを招いて豪快なバッティングを見て貰おう。その頃ルースは晩年でもう60本打つ筋力

 

は衰えていたが知名度は全米ナンバーワンであった。惣太郎が招聘の為渡米してルースに交渉しても海のものとも山のものとも分

 

からない「日本へは行かない」の一点張りだった。

 

地図でどこにあるか小さな蛮国扱いの国に野球の面白さを伝えて欲しいと幾ら頼んでも、ルースの気持ちは変わらなかった。

 

しかし或る日床屋にいるルースに同じように頼みに行くと頑なに拒んでいたルースの態度がニックネームのベーブと言われる由

 

縁、

 

ルースは2カ月間の付き合いで惣太郎のことを「鈴木ヤイ!」

と親しみ込めて呼んだそうである。二人の仄かな友情が垣間見えて微笑ましい。

 

 

ベイビーフェイス満面に浮かべて表情が一変した。それはポスターのイラストを見せたら微笑んで承諾してくれたのである。

 

広瀬貫川氏のイラストポスターが惣太郎を通してついに熱意が伝わった瞬間であった。それ以後日本遠征の毎日、惣太郎はルース

 

やルースの家族(妻子)ルー・ゲーリック夫妻の面倒をアメリカから船で日本に向かい、ニューヨークに帰るまで約2か月間御世

 

話したのだった。後にその時集まった沢村栄治、三原修、水原茂等々が草創時のジャイアンツメンバーになった。鈴木惣太郎はそ

 

れからずっとプロ野球に関係する要職に就き、1984年亡くなるまで日本野球に貢献した。

 

伊勢崎市民球場脇にある鈴木惣太郎胸像と著書

大谷の本拠地エンゼル・スタジアム。そろそろ翔平の稼ぎで改装されるかもしれない。ヤンキースタジアムはルースの稼ぎで建てた。其れ迄本拠地球場を持てなかった。今やヤンキースは盟主だが、ルースが移籍する迄はレッドソックスが球界の盟主であった。ア・リーグはナ・リーグより10数年後に結成されたからである。