ナパーム弾の少女 50年の物語 を読んで
沖縄が米国から返還されて節目の50年。
その沖縄米軍基地から50年前飛び立った爆撃機はナパーム弾も積んでいた。ベトナムのジャングルや家屋を余すところなく焼き
尽くした。その重量たるや何百トンに及ぶ。日本でも終戦間際の本土に
情け容赦なくナパーム弾に相当する焼夷弾が雨霰の如く、降り注いだ。当然家も焼かれ、人も焼け死んだ。ベトナム戦争では報道
が少ないためか、その被害について多く露出がない。
然し下記に示すAP通信員が撮った一枚はベトナム僧のガソリン被って抗議の焼身自殺同様、ショッキングで全世界を震撼させ
た。
画像本の表紙>
ナパーム弾を浴びて泣き叫ぶ全裸のベトナム少女
当人は今年59歳になり、カナダで存命中である。
9歳で米軍ナパーム弾を浴びて、重三度の火傷、17度の皮膚移植を得て、キム・フックさんの人生は辛苦の連続であった。
南ベトナムでは比較的裕福な家庭に育ったキムさんはナパーム弾を背中に浴びて、ケロイド状になるまでは、世の中戦争中ではあ
ったが比較的優雅に暮らしていた。南ベトナム側に住んでいたので、まさか支援する米軍のナパーム弾を受けようとは夢にも思わ
なかった。
しかし戦争は劣勢になり,北のベトコンがゲリラ戦法で米軍をかく乱、米軍は戦いに苦慮していた。キムさんが住むチャンギにも
ベトコンが侵攻してきた情報で南ベトナム軍がナパーム弾を落としたのか、分からない。然しナパーム弾はキムさんの背中に甚大
な戦争の爪痕を残したのは事実だった。キムさんは永遠に戦争を背中に担いで生きなければならない人生になった。アメリカの時
の大統領ニクソンは全裸で泣き叫ぶベトナム少女の写真を見て「フェイクだ!」と言ったそうだ。AP通信でもこの写真を全世界
に打電するか、時の編集長は悩んだと言う。何故なら女子が全裸だったからである。
しかしこの一枚は翌年72年報道写真の王道ピューリツァ賞を受賞した。今回の書籍はこの少女が50年経ってどうしているか、
追跡したドキュメントである。ついでと言っては何だがこの時のカメラマン、ベトナム生まれのニック・ウトについても語られて
いる。
画像カナダで再会したツーショット
それにしてもキムさんは逞しい女性である。16歳の時共産化した(戦争で北の勝利)国に馴染めず、何回もボートピープルも試
みるも失敗。医者を志すもベトナムがプロパガンダでモスクワへ行け、キューバへ行けと監視付きで指示する為、学び舎へ行けず
進級できない。
1989年モスクワ崩壊に便乗してカナダへ亡命することを計画する。
計画は新婚のトアンにも内緒で決行(身内から漏れる心配)
現在は子供が出来て幸せな老後?を送っている。戦争になったら化学武器使用禁止なんて、てんで遵守しない。
沖縄や硫黄島等では洞穴に潜む沖縄人や日本兵が火炎放射器で焼き殺されたり、ベトナムのベトチャン、ドクちゃん
を引きあいに出すまでもなく、枯葉剤とかナパーム弾が降り注ぐ。挙句は原爆が炸裂して
一般市民がどれだけ多くの死傷者を出したことか・・・・・。50年経ってもキムさんはまだ仰向けでは寝ずらく
汗腺が少なく汗がかけないから,暑い国では熱中症になり易かった。
ではケロイド状の皮膚が寒い国では過ごしやすいかと言えば、皮膚が引きつって痛いそうである。
今唯一キムさんの救いになっているのはキリスト教の一説「汝の敵を愛せよ」
いい宣教師に巡り合ったお蔭で怨み節の人生が方向転換した。
宗教は目的が金集めをするだけの集団ではない。個人を救う手立てをしてくれる時もある。
気は持ちよう、信じる者は救われる、純粋な気持ちあれば、金は払わなくても心身はパラダイスである。


