松田美智子著:仁義なき戦い菅原文太伝を読んで
今月初め菅原文太主演遺作?となった「わたしのグランパ」のDVDを見てBlogを書いた。嘗て仁義なき戦いの広昌(役名)を演じた
ようなギラギラした吸血鬼の面影はなく、義理人情に篤いグランパを年相応に演じていた。この書を書いた松田美智子さんとは松田
優作の一子を設け離婚した物書きで、芸能人に精通した人だった。
実に芸能界に詳しく、突っ込んだ取材をする人だと本書を読むと解る。菅原文太の人となり映画なり、交友関係等隈なく取りこぼす
ことなく辛辣に取材している。そこで浮かび上がった菅原文太とは
全く役柄とは別人な寡黙で人付き合いの悪い、インテリで1人楽屋で読書している孤独な人格が登場する。通常一般人の偏見として
芸能人やタレントは基本根無し草だから人付き合いを大切にする。
飲む打つ買うその日暮らし刹那主義で一幕終われば打ち上げだ、完成披露パーティだと言って、繋がり親睦を大事にする。
然し菅原文太は飲むのは好きだが、セレモニー飲み会は苦手で逃げ回る。無理強いしない、威張らない人とは飲めるようだった。
その癖飲む時はとことん飲んでしまうので、翌日の撮影時間に遅れ、若い時は大分滅茶苦茶な生活を送っていたようである。
本日無念にも亡くなられた川津祐介氏(ザ・ガードマン等々)と一緒に篠田正浩監督の松竹映画撮影時にも前夜飲み過ぎて大遅
刻。
反省の色もないので監督は怒り心頭、もう菅原文太を使わないと言い出した。敢えて代役が来ても困る川津祐介は一緒に謝りに行
ってくれて、以後篠田監督の時だけは遅刻をしなかったという。
逆の立場になったら相当怒りそうなイメージを持つ文太だが、若い頃ファッションモデルとしてそこそこ売れ、石津陽介のVANの専属
だった。劇団四季の浅利慶太とも仕事をしている。若い時の風貌は優男だったようだ。映画界が君にはぴったりだと浅草フランス座
の八波むとしに煽てられ、新東宝―松竹―東映と渡り歩く役者稼業で、飲む癖の悪さだけは抜けきらなかったようである。
――――私は菅原文太主演の二大作品「仁義なき戦い」と「トラック野郎」どっちが好き❓と問われれば躊躇なく星桃次郎のキャラク
ターを愛する。コメディタッチの愛川欽也(原作・発案者)との掛け合いは面白く、殺伐とした作品しか作らない東映でこんな作品の企
画が通ったと思う。尤も映画界はテレビに押されて斜陽化、少しでも興行成績が上がれば何作でも作った時代だった。然しやくざ映
画の頂点とも言うべき深作欣二監督の「仁義なき戦い」の主人公広昌は菅原文太には嵌り役で、カメラワークのユニークも相まっ
て、あの固い映画雑誌のキネ旬の’74年第2位に選出された。菅原文太は主演男優賞を取り、監督も脚本家も賞を取って、やくざ映
画が文芸作品を追いやった画期的な年になった。一番星のトラック野郎でさえキネ旬では低評価だったからね。
画像:広島抗争映画は子供の頃見たアンタッチャブルを彷彿させた>
でも矢張りファッションモデル出身でまだ訛(宮城県)が抜けない菅原文太を映画スターの軌道に乗せた人物は安藤昇以外いないと
思う。松竹映画の「血と掟」でやくざ映画製作する時、何かと世話したのが渋谷を拠点にしたヤクザが松竹の招きで映画出演した。
契約金2000万、ギャラ500万、共演した菅原は20万。安アパートに住んでいた菅原はいつも腹をすかし、安藤経営のレストランでタ
ダ飯を食い、安藤の部下だった安部譲二のバーでただ飲みしていたという。
いい根性をしているのである。菅原文太は・・・・。でも小さい時、母が父と離婚し、父型の親戚に預けられ、肩身の狭い生活を強いら
れた。
学業は作家・井上ひさしが出た高校だから、今で言う偏差値の高い進学校だったようである。親の勧めで東北大学を受けるものの
ムネン桜散る。
一浪して再び受ける積りだったが、早稲田や慶応を受けに上京した。
どうにか早稲田二部に入学することが出来た。しかし東北大学なら学費を出すが東京ではダメと父と一緒になった継母が言う。文太
はありとあらゆるバイトをして食いつないでいったが、やがて除籍になった。破れかぶれの生き方はこうして始まった。戦中派にはこ
ういった不幸な境遇で生きたタイプは数え上げたらきりがない。
又文太には結婚後三人の子供に恵まれたが、男の子が一人いた。それはそれは可愛がり方が尋常ではなかった。溺愛で姉や妹に
は手を出すが長男を殴ったことはない。撮影が終われば家にまっしぐらに帰って長男と遊ぶのが唯一の楽しみ。やがて倅は父を継
いで俳優になる。然し不幸はここでも起こった。倅薫31歳の時、開かずの踏切で儚く短い生涯を閉じてしまう。其の時の文太の無念
さは計り知れない。生きる屍に等しい悲しみを晒してしまう。役者を止める覚悟をする。どうにか畑で体を動かすことが息子を失くし
た悲しみから逃れられる唯一の手段と続けるのだった。
本書第3章は「健さんみたいになりたいんだ」とある。
だが松田美智子氏が直接取材して、菅原文太が言った訳ではない。
あくまで人づてに、こういうニュアンスのことを言っていたな、そんな雰囲気で話していたなであろう。菅原文太は「仁義なき戦い」でギ
ャラは200万に跳ねあがり、東映の金看板になった。
生活も困らなくなり、本性も出やすい環境になって来た。
嘗て任侠映画で会社を背負っていた高倉健も東映を退社し、
フリーで現代劇を演じ,賞取り合戦が映画祭の習わしになった。
2枚看板と言われた鶴田浩二もテレビに出演することが多くなった。
然し菅原文太は人気稼業に落日が伴っていることを熟知している役者だった。蓄えは出来た、そう映画人に拘らない。
仁義なき戦いの主人公やトラック野郎の星桃次郎の出演を自ら降板した。深作監督が言おうが俊藤プロヂューサーや岡田社長が
説得しようにも、乱暴者のキャラクターに嫌気がさしたようだった。
健さんみたいになりたいとは高倉は主演した映画の主人公のように日常も生きる。ファンや一般人を落胆させないように無理した生
き方。梅宮辰夫など「気の毒」と健さんを表していたが、文太とは全然交流がなかったという。菅原文太も映画主人公キャラと違う、
平凡な一人の夫、親、男として生きたかったんじゃなかったかな。だからある年から矢鱈と方向転換大河ドラマや出演するドラマを限
定するようになった。家族を意識してか、柔らかい人格設定の人物が多くなった。でも一般的に言って菅原文太は高倉健を越えられ
なかった。日本一の男優はだれか?高倉健の投票が多い。激動の’70年代のヒーローが矢張り健さん。極道の’70年代ダークヒー
ローが文太と言うことになるかな?これで一件落着して貰えないとまだダラダラと書かなくてはならない。
《菅原文太氏はタレントの選挙応援や講演も多かった。
残念ながら群馬には来てくれなかったが、文太の講演聞きたかった。
私は講演聴取マニアで相当数のタレント等講演を聞いている。
今月も「イルカさん」の講演があるので聞きに行く。歌も聞けるかな?》
画像は「日本人の底力」から拝借


