『中学の同級生・徳ちゃんから届いた葉書』

 

夏の終わり、秋を通り越して冬空に近い秋、星が見えない・・・・。

 

一枚の葉書が舞い込んだ。それは当人が書いたような稀有な訃報だった。922日人生双六をめでたく終了したとある。コロナ流行

 

の折、葬儀は身内のみで執り行う故と記されていた。

 

亡くなった徳ちゃんとは中学の同級生で、6人グループの一人だった。

 

画像>誰が撮ったか分からない写真。ここに私と徳ちゃんもいる。

 

そんなに仲が良かったわけでもなく、長年年賀状の遣り取りが続いていた。徳ちゃんが寄越す年賀ポストカードは毎年奧さんとのツ

 

ーショット、娘さん合わせてのフォーショットの時もあった。写真の笑顔からは何の変化も見られなかったが病魔が忍び寄っていたの

 

かもしれなかった。’70年代共に上京していて、確か東京の何処かで偶然会い、新宿ションベン横丁で再会(高校が別だった)の祝

 

杯をしたり、

 

一度だけ正月休みだったか、私が住んでいた県営アパートに来て、酒を酌み交わし、一晩泊まって帰京した。遅くまで飲んで話し込

 

んでいたら隣の中年夫婦に五月蝿すぎると注意されたっけね。東京にいる積りで談論風発してたら、これは田舎では通用しないこと

 

と二人思い知った出来事だったな。その頃徳ちゃんは新劇の脚本書きをまだやっていたのか、お互い仕事のことは何一つとして話

 

してなく、旧友のことも話題に出ず、何を話していたのか思い出せない。

 

話したことはトータル3回で、それも激動の昭和の時であった。

 

徳ちゃんは直接私に言ったことはないが、私が東京にいた頃、

 

新宿紀伊国屋書店雑誌コーナーでたまたま取った「月刊シナリオ」に徳ちゃん脚本の新劇、タイトルは忘れたが旧日本兵が出て来る

 

前衛的な脚本を読んだ。殆ど筋は忘れてしまったが戦後生まれの徳ちゃんが何故こういうテーマなのか、不思議だった。ベトナム反

 

戦の風潮が日米に渦巻いていたから、巻き込まれる日本を危惧してこういう形で警告したのかなと思った。飲み屋で奥さんとののろ

 

けも聞いていたが、インドに旅したいプランも聞いたことがある。でも何年後かにそのことを言うとインドには興味などないと言ってい

 

た。’70年代1ドル¥360から¥240・・・日本の円が強くなってやがて一般人も海外旅行が流行り出す。海外への持ち出し金額が決

 

められた時代から自由に豪遊できる日本我が世の春が到来した。

 

徳ちゃんとは一緒に海外に行こうぜと言う話は出たことがなったが、

 

群馬の田舎に帰郷した時は「飲もうぜ!」と年賀状に書き繋いで来たが、ついに望み果たせず、私一人チビリと徳ちゃん偲んで飲む

 

羽目になってしまったな。尤も数年前から晩酌は止めているからそういう機会も失してしまったけどね。

 

画像・月刊シナリオ>

 

月刊シナリオは何年か、読み続けたが、この一冊だけは今でも宝物のように大事に取ってある。巨匠新藤兼人監督の「愛妻物語」

 

が載っていて20代初期何度読んでも泣けた。こういうシナリオを書きたいと若い時思ったものだ。

 

葉書は印刷されたものか、家でコピーしたものか、分からないが徳ちゃん自筆と思われる字体で末尾に「待ってるぜ!と記されてい

 

た。

 

石原裕次郎にそう言われても困るが徳ちゃんのお誘いなら、彷徨い,ほろ酔いして銀河で会うのも一興だぜ!と思う。そう長くは待

 

たせまいてぇ~!酔生夢死が合言葉だぜ!私は行雲流水が好きな言葉だけど・・・・・。徳ちゃんは文才があったからその道へ入っ

 

たが、私は無才を悟ってサラリーマンになった。私も徳ちゃんを運んだ銀河系の病と同じ所有者だから、そう遠くない未来にアンドロ

 

メダ星雲付近で偶然お会いすることになるだろう。50年ほど前偶然「トーキョー」と言う場末で出会ったように・・・・。その日の為に酒

 

席を用意して置いてくれ~積もる話も尽きないぜ。待ってろよ~~~~~。