戦国時代のゴッドマザー『妙印尼輝子』

 

戦国時代金山城主・由良成繁は病死した。その正室輝子は仏門に入り、「妙印尼輝子」と名を改めた。然し輝子は館林城主赤井家

 

から嫁ぐとき、父にねだり、馬と鎧を持って金山城に入城した。

 

その位女丈夫で男勝りな姫だったのである。

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だからその性質からくる言動は僧衣をまとっている時でも、乱世戦国の時代、正体を現す状況はすぐやって来た。

 

二人の倅(国繁・顕長)が北条家の謀略に合い、小田原城へ軍法配立で入城した時、人質になってしまった。金山城城主国繁の息

 

子はいたがまだ10代(貞繁)。ゆくゆくは金山城を立ち除けと北条家は威嚇して来ることは目に見えていた。当時関東管領の上杉謙

 

信は亡くなり、信長も暗殺されて、日本列島は風雲急を告げていた。

 

やがて勢い増して秀吉が関東へ進出して来ることは火を見るより明らかだった。その受けて立つ地盤作りを北条氏政は考えての金

 

山城乗っ取り謀略だった。

 

さて金山城に残されたのは幼い城主。知略の家臣はいるにはいたが

 

71歳になった尼僧輝子が大いに発奮した。この件で北条氏政と交渉しようと単身鎧をまとい、馬に乗って小田原城へ向かうと言い出

 

した。

 

家臣を従えず、たった一人で婆さんが倅二人を人質に取った氏政と対面するときかない。凄いスーパー婆さんが戦国時代にいたも

 

のだ。然しその時すでに北条家の戦隊2000名は金山城へ向かって出発したと言うニュースが入って来た。取り巻きの北条応援隊も

 

加勢すれば、10000兵位になることが予想される。誰が城を守るリーダーとなり得るか?妙印尼輝子しかいなかった。輝子は仕方な

 

く馬から下りた。

 

由良成繁から国繁が城主だった時代、由良家は金山城と桐生城を仕切っていた。弟の顕長は長尾姓を名乗り、館林城と足利城を

 

任されていた。北条家が倅二人を騙し、人質にしたので金山城は簡単に手に入ると思った。それが意外に長く持ちこたえて籠城し

 

た。

 

氏政は参謀山上顕将を差し向けて和睦を提案してきた。

 

勿論無理難題ではあるが、頃合いが適当でもあった。

 

条件は金山城と館林城を明け渡すこと。

 

二人は返すから国繁は桐生城主、顕長は足利城主とする。

 

其れに裏切らないと言う誓文をきっちり書かされて戦は終結した。

 

歴史にもしはタブーだが、輝子が指揮を取っていなかったら

 

由良家は滅亡していたかもしれない。血気にはやった家来たちがとことん大勢の北条家に立ち向かって敗北したかもしれなかった。

 

あくまで御家を残す最終手段として屈辱の和議を受け入れたのは

 

輝子の賢明な決断だったと思うのである。

 

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戦国時代女性の名前など残っていないのが普通である。では何故か?ゴッドマザーとして活躍した輝子が秀吉に認められて、北条

 

側についた国繁、顕長の行為を許し、輝子は豊臣方前田利家に加担して、反北条家についた。真田家の戦いのようにどちらかが残

 

れば御家は断絶せず、後世に受け継がれる。輝子は計算にたけたゴッドマザーだったのだ。戦は秀吉の勝利に終わり、女だてらに

 

高齢ながら有能な女性と言うことで輝子に免じて、茨城牛久を領地として由良家に与えた。これが江戸後期の記録にあるため勇猛

 

果敢な女性「輝子」の名前が残っている。

 

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金山城を死守した戦国時代のゴッドマザーの話は、太田の作家・浜野春保氏が小説に書いていた。然しそれを出版した武蔵野書房

 

はこの作品を絶版にしていた。郷土の偉人をもっと知ってもらいたいと

 

坂本久幸氏は再刊行して多くの太田市民、群馬県民に読んでもらいたいと願った。私も県立図書館で読もうと思ったが武蔵野書房

 

の「妙印尼輝子」だった為、貸出不能問外不出になっていた。貸出可能な図書館を県立図書館で探して貰った所、太田市に幾つか

 

貸出可能な図書館があることを教えて貰った。そして藪塚図書館で坂本久幸氏が尽力して出版した(一般社団法人地域創生支援機

 

構:発行)「妙印尼輝子」を借りて読むことが出来たのである。太田市では他の図書館でも本書を貸し出している。戦国時代のかか

 

あ天下・上州からっ風に浸りたい方は是非御一読を!勿論小説であるから何処までがホントであるかは御自分で推理して頂きた

 

い。