東京タイムスリップ1984⇔35年後定点
都は遠きにありて想うものになってしまったな。私の知っている都はバブル期のもっと前、
激動の’70年代なんだよな。’80年代は大分落ち着いてきた感じ、大人しくなってきた時代だな。
表紙>私は1984年頃には東京にはいなかった。私が東京砂漠にいたのは’70年代。でも80年代はやや近い。然し2020TOKYOは別世界である。新宿東南口は今昔分からない
裏表紙>代々木八幡 新幹線を夜中運搬している写真かと思ったら小田急ロマンスカーだった。だから沢山人がいるんだな。付き合おうとしたキオスク勤めの女子寮が代々木にあったのを記憶している。演劇志望の人で左卜伝に会えたと言って喜んでいたっけ!(左上)
裏表紙>新宿駅西口 ’70年代夜西口に行くとゲリラ・フォークやべ平連(ベトナムに平和を連合会)の集会があったな。新宿駅何口か忘れたけど、歌声喫茶と言うのが流行っていて、そこを通ると男女大合唱が木霊してきた。
(右上)
裏表紙>渋谷駅西口 ここでよくバスに乗った。料金は一律同じだったと思う。或る日酔っぱらってバスの先頭に乗っていて、気付いたら一回りして又出発点に乗っていた。運転手は交代だから当たり障りのないよう、何も言われなかった。国鉄グリーン車切符販売所が近くて,ハチ公前は混むからデートの待ち合わせはいつもそこだった。
(左下)
裏表紙>上野アメ横 故郷に帰る時は上野発高崎線だったから、アメ横によって買い物した。生モノは冷凍時代ではなかったから、買わなかったけど、猥雑で怪しい街の雰囲気が好きで、良く闊歩した。
(右下)
画像>新宿コマ劇場 夜の歌舞伎町は仲間とよく飲み、荒れましたね。公衆電話には至る所一杯にデートカードがベタベタ貼ってあった。朝が来る頃は路上はギュー詰めのダストボックスと煙草の吸殻が散乱し、カラスが生ゴミを啄んでいた。汚い大都市と言う印象しかない。
画像>新宿ゴールデン劇場 文化人が良く飲んでいると言われた.コメディアン内藤陳さん経営の店もあった。(ハードボイルドだど・・は一世を風靡した)作家の田中小実昌さんを見かけたことがあった。中学同級生が演劇人だったので彼はここの常連だった。線路直下の石垣は飲兵衛のションベンで異様に臭かった思い出がある。
画像>渋谷・宮下公園 原宿に住んでいたので宮下公園を横切って渋谷の街へ繰り出した。当時週末夜ベンチ全てアベックで埋め尽くされていた。道玄坂から円山町へ繰り出せば逆さクラゲが沢山あったね。宮下公園は後々ホームレスの館になり、今は再開発されて様変わりしたようだ。
画像>西武渋谷店 大盛堂と言う本屋があり、全線座と言う映画館もよく行った。西武デパートの中も歩いたけど、当時一休みできる場所と言うのが、都内全デパートになくて、売ってやるんだ商売だったな。日本は団塊の世代人種で溢れかえっていた。
画像>渋谷センター街 夜ゲームセンターで遊んだが、可笑しな連中はいなかった。シャッターが閉まったアーケード街では,ろうそく燈した占い師のラッシュだった。やがて渋谷は女高生のたまり場,家出女子のメッカに変貌していく。ブラタモリで渋谷編をやっていたが、NHKの所は前方後円墳の丘だったようだ。縄文時代から深い谷で水に事欠かなかい人の集まる一帯だったと言う。
画像>日比谷公園 日比谷はよく都立図書館へ出かけた。昼無料でシアターが見られたし、本棚にある本を自由に好きなだけ読むことが出来た。(この頃は図書館員が書庫から本を持ってきて読ませたもので、貸し出しも出来なかった)日曜日野音はけたたしく、がなり立てていたが、一度も寄ったことがない。
画像>池袋文芸座 エログロナンセンス&バイオレンスが盛んな深夜映画館でここだけは古い名作をやっていた。深夜映画は見たことがなかったが、旅館に泊まるより安いと週末は若者で満席だと言われていた。
本書は横長でA4サイズにあらず。両方タイムスリップ状況をスキャンしてUPしたかったが、1984年中心になった。定点写真は萩原朔美さんのように古い朔太郎の写真に孫の朔美さんが同じポーズを取って写っていたり、桜定点写真家の藤重朋紀さんのように一本桜の四季を四態追っているカメラマンもいる。今回の「平凡パンチ」フォトグラファー善本喜一郎氏のような年代を越えて同じ定点撮影も面白い。同じ条件にしようと必死な意欲がグラビアから伝わって来る。東京今昔60セットの様変わりが楽しめる。
裏表紙<左上>の写真をネットでもって来た。パッと見電車の移動かと思った。深夜完成した電車を車道で運搬すると言う話を聞いていたからである。それにしては人は多いし、明るいと思っていたら通常の電車往来だったのでちょっとがっかり👅。それにしても電車が間近に走っていて何だか怖い~。













