昔の旅  ―――伊勢参宮日記に見る  小川八千代著

 

 

江戸庶民にとって伊勢参りは一生に一度の旅だった。

 

しかし老人の孤独、私はまだ行っていない。そればかりか

 

お礼参りの信濃の善光寺にはすでに行ってしまった。逆コースを歩むにしてもお伊勢さんは関東から余りに遠すぎる。ふつう21世紀

 

を生きる人間にとって江戸後期流行した伊勢参りは伊勢参宮だけかと思っていた。そしたら同時に四国金毘羅さんは回るわ、奈良

 

京都の神社仏閣見たり、折角だからと遊郭にも繰り出しているんですな。そして2カ月以上かけて土産買って凱旋帰宅している。英

 

雄の御帰還と言う風情である。

 

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我々現代人が何と言っても驚いたのは歩く足の速さと持久力である。車社会にドップリ嵌った我々には一万歩歩けばもうヘトヘト、腰

 

を下ろして休んだら、もう立ち上がるのは難儀。けど伊勢参りに行く庶民は年老いた人でも一日20km位は屁の河童。場合によって

 

40km歩いても、次の日平気で明け七つ(4時頃)目的地伊勢に向かって歩き続けるパワーは信仰心?グループで声かけ合いなが

 

らでも脚力の凄さは驚異的である。昔の人々は足のサイズが小さかった。現代人は歩くことが少なくなってからバカの大足が多い。

 

若者など2829cmはザラ。

 

これは歩くことが少なくなった足の退化と言える。今回読んだ「昔の旅」は大泉町に住む町人が2代に亘って伊勢参りの模様を書き

 

綴った記録である。その100年以上前の資料が見つかったので「小川八千代さん」が現代文に書き換えてくれた資料を読んだ。

 

大泉町佐藤家の伊勢参りは江戸文政は安次郎、文久では孫と思しき良之助がそれぞれ23カ月の月日をかけて、トータル500

 

以上(約2000km)歩く抜いた。総費用は約12両(大体約200万円)それを村人のカンパやお札代、それに貯蓄を足してグループで出

 

かけた。その頃東海道膝栗毛~十返舎一九本の人気も肖って年間300万人が伊勢さんに出向いた。日本人口が3000万人と言われ

 

た時代、1割の人がお蔭詣り、抜け詣り、通行手形を町役人から貰い、寺が発行する往来手形を持参して道中何カ所かの関所-

 

所を通り、参勤交代で整備されたとはいえ、峠や雨路、川を渡っての大旅だったのだ。現代では車でひとっ走り、新幹線や飛行機で

 

一足飛び昔の人に現代にタイムスリップして同じ旅をして貰いたいよな。旅の価値は十分下がるとは思うけど・・・。後驚くべきこと

 

は昔の人は兎に角カネに細かい。

 

泊まった所の宿賃、川の渡し料金、土産代金等全部つぶさに記録している。

 

例えば宿泊代日本橋348文、大坂824文、善光寺300文

 

川の渡し賃利根川16文、大井川、人足48文~94文

 

川の深さによって代金は違った。

 

名所旧跡-寺社:賽銭・お守り-参拝見物料合計 980文

 

土産:万金丹「一分・文政  一朱・文久」等々・・・・。

 

江戸や国内レートは1文約15円 一両96000円換算(作者の見解)

 

尚関東は金本位制で一分金、関西は銀本位制で一分銀を持参。

 

それに一文ビタ銭を百枚づつ紐に繋いで,スリに合わないよう旅する。又宿では相部屋も多く、気の休まることはなかった旅だった

 

ろう。

 

それでも文政の伊勢参宮は66泊67日で532里踏破して3/25帰宅。文久の方は79日の旅512里を歩き通し5/2に帰宅した。6月の

 

人出のいる田植えの前には帰るのが習わしだった。

 

神社に連絡して写真撮ろうと思ったが、外でなく中にあるので正月でもないと見られないと宮司が言っていた。畳一枚の大きさで本書の佐藤安次郎さんの名前でなく、孫の良之助さんの名前が記載されているそうだ。