『命みじかし 恋せよ乙女』の映画観

 

大正ロマンの名曲「🎵命短し 恋せよ乙女 赤き唇 褪せぬ間に

 

🎵熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の 月日のないものを」

 

タイトルにしたドイツ映画、名優樹木希林の遺作で世界デビュー作と図書館に置いてあったので借りて来て観た。希林さんは確かに

 

出演していたが、終わりの方20分程度で、この映画はドイツ映画だが意外や日本公開されたと言うのも、亡くなった希林さんを当て

 

込んでセールスに利用しただけ。しかもこの映画の中で希林さんの孫役に当たる「入月絢」とは女優でないダンサーなんだと

 

か・・・・。

 

邦画タイトルがこのゴンドラの歌の詩を頂戴している。この映画を劇場に見に行ったり、DVDを買われて失望感から怒りに達したファ

 

ンはいまいか。私は相変わらず無償の図書館貸し出しから、心安らかに視聴した。映画監督はドイツ人で女性で日本贔屓の人らし

 

いが、西欧で日本文化を伝えるにはいいが、日本人から見ると観念的哲学的霊的なテーマで、何を伝えたいのかしっくり把握できな

 

い。

 

 

後半亡くなられた希林さんが日本の文化(庭園・着物・祭)をドイツ人男性に伝えるシーンになって、ホッとした心地にさせられる。

 

このDVDを借りようと思ったのは、まさかドイツ映画だとは知らなくて借りたのだが、黒澤明監督の「生きる」ブランコに乗って

 

🎵命短し 恋せよ乙女🎵目に一杯の涙溜め、癌で余命いくばくもない役所の課長が口づさむシーンを思い出したからである。

 

もう半世紀も前20代の頃「生きる」を見たが、生命が漲り死ぬことなど、頭の隅にこれっぽちもなかった時代。何の感慨もなくこの映

 

画を見流した。しかし七五調都都逸語りの詩は強く印象に残っていた。曲はワルツ風で歌いづらく、見る見るうちに内面を暗澹たる

 

ブラックに染めていくが、詩だけは美文だと思った。

 

大正時代乙女の恋心の歌を定年間際のうがつの上がらない男がブランコに揺られながら,歌い死んで行く姿は憐れ過ぎた。

 

画像生きる>

 

今見ると50年前とは立場が違うから、まるで自分自身が主人公の心情になってしまう。老人の孤独、崖っぷちに佇む自分がいる。

 

主人公は30年間無欠勤で働くでもなく兎に角惰性に出勤して生きていた。我々20代の時、役人や警官血税で生きている人たちって

 

威張って傲慢な人が多かった。現代は両者とも昔から見れば掌返したように市民に気を遣う態度を見せるようになった。仕事ぶりは

 

相変わらず縦割りで官僚的で融通利かず、市民の依頼は堂々巡りに他課へ回すシステムに変化はない。公園を作って欲しい市民

 

の陳情を生きている内に努力して命がけで取り組む渡辺市民課課長の鬼気迫る動性。部下で退職する娘(小田切みき)に喜楽を教

 

わり、(レストラン~映画館〰アイススケート〰遊園地)自殺しようと買ったアドルムを飲み屋で譲ることになった小説家に生前最後

 

の放蕩に付き合わせたりして、(パチンコ屋~ビアホール~ダンスホール~ストリップ)やっと人生に指針を見つけた。

 

それが役所仕事堂々巡りの最終地点➡自ら主導の公園作りだった

 

 

 

画像動画>

部下はあだ名付けの名人だった。渡辺課長が付けられたあだ名が「ミイラ」生きてはいるが死んでいる。恐ろしい形相で話す。

口づさむ「ゴンドラの唄」は墓場からおぞましく響く声だった。黒沢監督はあ〰いぅ~声で歌うように音楽家の所へ通ってレッスンしたんだそうだ。