『安藤昇伝 あるヤクザの生涯』石原慎太郎著

 

My Blog7/11Upに引き続いての読書感想文。

画像《安藤氏はレコードも随分出されていた》

 

安藤昇氏は中学高校の頃から非行化しており、少年院(感化院)に入れられた。出てくると世間近所の目はいつもと違って避けるよ

 

うになっていた。更に非行は進み再び少年院入れられると、出ようとする考えを巡らせた。予科練に入れば出られると計算。入校手

 

続きを取る。この延長で予科練から特攻隊に志願するようになるのである。

 

世は戦争末期安藤氏が所属したのが「別名伏龍隊」潜水服に潜水帽で竹竿の先に爆雷を付けて海に潜って待機。敵の船底が近づ

 

いてきたら、竹竿を下から突いて爆破。自分も死ぬが船の敵兵も全員死ぬ。

 

英霊になる為国に奉公したかった―――――

 

そんな一途な考えの人が終戦後、生きる価値観が掌返す如く逆転された若者が沢山いた。安藤氏は新宿を皮切りに渋谷に勢力を

 

伸ばし、地下組織を拡大させていった。戦前日本に痛めつけられて、日本に残った三国人のアンダーグラウンド勢力がアメリカをバ

 

ックに肥大していた時代である。

 

日本の政治家や警察も安藤氏等の力を借りて、国家転覆を企む他国家の暴力組織に立ち向かわねばならなかった。だから三国人

 

組織にとって安藤組は目の上のたん瘤になっていたかもしれなかった。

 

或る日安藤昇氏は銀座で待ち伏せされていた。台湾人蔡という男に左頬を切りつけられた。頬の皮がめくれてピタピタと翻るのを手

 

で押さえて、切った蔡を追った。然し通行人の連絡で駆け付けた警官に取り押さえられ、即十仁病院で手術を受けた。30針90分の

 

麻酔なしの大手術だった。安藤氏が麻酔をすると傷口が醜くなると言う迷信?誤報から自ら麻酔を拒絶した為、医師は慌てて従っ

 

た。包帯が取れて安藤氏はマジマジと鏡で自分の左頬を見た時、もう堅気の道へは入れない、渡世の道しか歩めないと覚悟した。

 

―――――私は10代の時、安藤昇氏主演の映画を観たが、銀幕から睨みを利かせた強烈な目つきは尋常な人の目つきとは違って

 

いた。

 

何度も修羅場を潜り抜けて来た人の目つきは狂犬のようなものだった。画面を通してみたものだが、面と向かって安藤氏に睨まれ

 

たら、ションベンをちびってしまう恐ろしさがあった。ドスの利いた声と悪魔のような目つきは氏のトレードマークだった。私はやくざの

 

足を洗い、(組解散)映画俳優や作家に転じた氏のことを23人から伝え聞いていた。私が渋谷によく遊びに出向いていた以前から

 

氏の情報は幾つかあった.高校の時クラスメートが丸めた和紙を開いて見せた。そこには前橋刑務所所長に宛てた安藤昇氏の令

 

状が書かれていた。墨字の達筆で在所中、世話になったことが綴られていた。矢張り極道は日本古来の筆で目上の者に一筆したた

 

める物なんだと、その時感動したものだ。それからH大に進むと文学部の教授が小田切秀雄氏だった。小田切教授の講義は文学よ

 

り脱線した四方山話の方がずっと面白かった。原節子と当時の中村哲総長は恋仲だった?とか、ドラフトで巨人に入れなかった田

 

淵幸一捕手は実は卒業してないとか・・・・。ホントか嘘か学生受けする話が盛り沢山の教授だった。氏自身も東大に入りたかった

 

が学生運動を高校でやる者は受験資格を失った。(国立大は受験不能)だから私大しか入学できないのでH大に入った等々・・。小

 

田切さんが学生の時、前期試験のカンニングをねだる学生が一人いた。余りしつこいので見せることにしたら「渋谷に来た時、何か

 

あったら俺の名前を言え!」と言った。それが安藤昇氏で当時もう渋谷を仕切った大立者だった。然し安藤氏は授業料は支払わ

 

ず、学校から催促されるとナイフで脅したので、即退学になったそうだ。W大の五木寛之氏も授業料が払えず除籍になった。その氏

 

が足繁く通った銀座「姫」のママが安藤昇氏の愛人山口洋子氏だった。彼女が世に出そうと腐心した歌手の芸名が当時文壇に華や

 

かにデビューした五木寛之から取ったのは言うまでもない。――――安藤氏の話に戻るが、所属していたのが空手部。其の10年後

 

位に秋田から上京した学生が空手部に入部した。その人が今、何かと物議を交わしている時の総理「菅義偉よしひで」である。一寸

 

安藤氏と違って親分の素質はなく参謀が向いているようである。

 

石原慎太郎氏はなぜ今、安藤昇氏のことを書いたか?

本書には「長い後書き」と称して30ページに及ぶ真情を吐露している。慎太郎氏の核所持に賛同した安藤氏のことを伝え聞いた氏

 

 

選挙区の八丈島に行った時、そこで隠遁生活をしていた安藤氏に面談を申し込んだ。安藤氏は快く引き受けてくれて成立した。

 

核所持は日本では非常にデリケートな問題だったが、慎太郎氏はアメリカのNORAD/SACに視察に行った時(佐藤総理時代)、もし

 

ソ連が日本に核を発射した時アメリカは援助なしの事実を知った。ハワイでさえ見殺しの米核戦略、極東への援助があるはずもな

 

かった。

 

守るべきは米国本土のみに限られていたのだ。

 

帰国して慎太郎氏は核保有は必要悪と踏む。安藤氏も同意見を持った様だ。その例えが如何にも裏社会を歩んできた渡世人の発

 

想「相手が拳銃持っているのに、こちらがドスじゃ喧嘩にならない。平和ボケもいい所だ」その後

 

衆議院選挙に当選した石原慎太郎氏の基に八丈島の知人から連絡が入った「安藤氏も一票石原氏に投じた」と。

 

 

画像・動画はぐれ町・男が死んで行く時に共に作詞は阿久悠氏>