『石原慎太郎著:安藤昇伝』を読んで

 

先月MyBlogで高杉良著「破天荒」を書いた時、たまたまその日

 

読売新聞に石原慎太郎氏(1932-   )が安藤昇氏(1926-2015)のことを書いた広告が載っていた。

 

石原氏も高齢になられて前回角栄さんのことを書き、今度が闇の帝王安藤昇氏を書いているので、生涯かけて世に伝えたい集大成

 

が角栄と安藤なんだなと思った。そこで即、図書館に本を予約しようと出向いたら、すでに購入され読む順番が6番手になってしまっ

 

た。

 

遅かりし由良助の心境であった。それが7月に入って連絡があり、やッと読むことが出来た字も大きく行間も読み易く空いていて、

 

安藤バイオレンスをやくざ映画を観るようにスンナリ読み終えることが出来た。以下は感想――――

 

画像本の表紙>

 

私は’70年代数年原宿のアパートに住んでいた。しかし住所名は渋谷区神宮前で、よく歩いてアベックの聖地「宮下公園」を夜横切

 

って渋谷の町へ遊びに行ったものである。(宮下公園は現在昔の面影はない)

 

渋谷歓楽街はその頃からビッグな遊興地でその筋の人達が多く闊歩していて、戦後から昭和の30年代にかけて安藤組が君臨し、

 

野獣たちの戯れを或る種取り締まっていた向きもあった。それが崩れて

 

混乱に陥るのが安藤昇が戦争成金でのし上って来た横井英樹氏の傲慢ぶりに激怒し、部下に「殺さず、腕の急所を撃って思い知ら

 

せよ」と命じたことに始まる。一カ月逃亡したのち安藤昇は逮捕され、懲役8年の刑を受けて前橋刑務所に収監される。この服役中

 

に鬼のいない間に洗濯の例え、安藤組二枚看板「花形敬」と「西原健吾」が縄張り抗争で命を落とした。西原の葬儀の時、その母親

 

の嘆き、悲しみを胸が裂けるほど身に沁みた。自分のせいで二人を亡くし、更に部下の命を鑑み、幾ら「親分、この命は預けてあ

 

る。いつでも親分の為に死ぬ覚悟はある」と言われても、もうこれ以上「シマ」の取り合いで若い命を散らすのはコリゴリと思い至っ

 

た。

 

昭和39年「安藤組解散」のニュースは巷に衝撃が走った。

 

渋谷の町に一時、平和が戻った錯覚に陥った。

 

画像令和の渋谷、コロナ禍でお先真っ暗>

 

インテリヤクザと言われた安藤昇氏は今までの旧式のやくざ稼業とは一線を画していたようである。安藤組の興行方針は——‐―

 

ヤクザ仁義がない、兄弟の盃はない、責任取って指詰めもしない、そして入れ墨を禁じた。新しいタイプの愚連隊組織であった。

 

暴力に寄って金は集めるが人の生き血を吸って私腹を肥やす政治家や実業家への天誅は、いつも頭にあったし、依頼されれば自

 

ら乗り込んで威嚇した。その一例が横井英樹事件である。

 

2000万円の借金をした元侯爵が亡くなり、未亡人に請求され最高裁で支払い命令が出ているにも拘らず、困窮している未亡人に

 

支払おうとしなかった人非人。財産はうだるように貯めても借金は借りた側に好都合に出来ているとうそぶき、借金取りに来た安藤

 

昇をチンピラ呼ばわりした。そこで射殺する積りであったが、同席の者が制止したので気持ちを抑え込んだが、退出しても侮辱され

 

た憤りは収まらなかった。舎弟たちが安藤の気持ちを察知して「落とし前を付ける」と言うので命令した形になったのである。同じよう

 

なことは力道山の始末の時もあった。酔うと傍若無人に振る舞う当時の天下人力道山の悪酔いは飲酒商売の悩みのタネだった。

 

ホステスに暴力を奮い、殴られた女の鼓膜は破れてショックは大きかった。安藤が力道山を始末すると言う噂は本人にも伝わり、力

 

道山は警戒して自宅には立ち寄らず、猟銃を持って目に見えぬ敵に恐れを抱いた。それを心配した力道山のパートナーだった東富

 

士が仲裁を介して許しを乞うてきた。力道山も反省しているからどうか殺さないで欲しいと嘆願してきた。東富士の決死の頼みに心

 

打たれ、鞘からドスを抜くことは回避された。然し示談金で一命を取り留めた力道山の酒乱癖は数年後、イチャモンを付けられた一

 

ヤクザの逆鱗に触れ、腹部にドスを食らった。入院して力道山は驚異の回復に至ったが完治しないのにまた酒を食らって天国に召

 

された。

 

安藤氏のことを書き綴れば書き足りないこと山の如し。語りたいこと海の如し。後日再びこのサイトでーーーー あしからず。

 

お断りしておきますが、私は暴力を肯定するものではありません。しかし時にこちらが幾ら非暴力の精神でも、先方がそうであると

 

は限らない。備える武器と思想の完全武装は忘れてはいけない男の嗜みなのです。