寺内貫太郎の次に寺内タケシ迄逝ってしまった!

 

 

国際的なミュージシャンが亡くなったと言うのに、テレビや新聞もそう大きく取り上げていないね。個性豊かな水戸っぽ(本人は土浦

 

市出身)だけに痛烈にやりこまれたマスコミ人が多かったせいかね。

 

紙面が(誌面)が静かだね。会津っぽにしても訛りある故郷出身の人は頑固で、自己主張が強く、思ったことをズケズケ言う。

 

そういう意味では音響と形態でド派手なエレキギター奏者の寺内タケシ氏は度嵌りのエレキの神様だったと言える。アクの強い人ほ

 

ど情に脆く、教育委員会が不良少年がやる楽器とエレキを決めつけ、

 

退学や停学になった高校生を助けるべく、随分全国の高校を赤字覚悟で駆け巡った。その数たるや前人未到の1000校。北海道の

 

果てからまだ橋が掛かっていない淡路島迄、大型トラックで演奏ドサ参りの旅をした。その時の苦労話も泣かせるし、笑わせるが、

 

信義を持つ人の行動は凄すぎる。又寺内タケシと言う人の父親がただ者ではない。

 

測れるスケールの御人ではない。この子にしてこの親、感動ものの逸話ばかりである。寺内タケシの父親は政治家で実業家で電器

 

屋。

 

母親は三味線の家元。父親は寺内貫太郎ではない寺内龍太郎で息子のタケシを勘当すること10回。原因は全てエレキギター。

 

小さい頃からエレキギターに痺れて、勉強はしない、音楽の通信簿は「1」だし、他の教科も推して知るべし。

 

跡取りの次男の行く末を心配する父親は何とかエレキから遠ざけようとする。市会議員でもある父親は土浦のある土地を購入する

 

と、そこに公立高校を自費で作ってしまった。学力がないから他の公立高校へ入学が無理と判断した為である。資金は米軍に売り

 

込んだクリスマス用デコレーション・ランプ。自らの考案で莫大な富を得た。しかしここでもタケシの音楽熱は醒めるどころか加熱する

 

ばかり。

 

マンドリンクラブを設立して全国で3年連続で優勝してしまう。

 

遂には古賀政男にも将来を嘱望され、明治大学に推薦されてしまう事態に・・・・・。これでは息子がアントニオ・古賀のようにマンドリ

 

ン奏者になってしまう。それを恐れた父親は明大を止めさせ、自らの知人がいる関東学院大学へ編入させてしまうのだ。しかも横浜

 

に家を建てメイド迄つけて通学させた。エレキは止めて跡継ぎの為の勉強に打ち込むことが条件だった。しかしタケシは大学でもエ

 

レキに熱中し、米軍での演奏バイト迄つく腕前になっていた。

 

遂に父親に相談し演奏一本で生きて行きたい旨を打ち明けた。

 

すると父親も変わり身が早いもので「勘当だ!」建てた家を一日でぶち壊し、家中にあるすべてのものを土浦へ運んでしまった。

 

その日から帰る家はないので、暫くバイトを終えると桜木町駅で寝泊まりする生活は続いた。

 

画像・この本を参考にして書いてます>

 

母親は優しかったが三味線の家元。学童になるかならないか頃、

 

兄貴のギターがあるので母親に教示を願うと、鬼のように厳しかったと言う。撥で叩かれる、悪口雑言罵られる。

 

ギターは三味線の音に負けるので、どうしても三味線より大きい音が出したくて、家が電器屋なので部品は色々あり、店員にも相談

 

して画策したようである。世界で最初にギターに電気を通してサウンドを出した人、それが寺内タケシである。でもこのとき子供だか

 

ら特許は取っていなかった。取っていれば世界初のエレキギター誕生と歴史の名前を刻んだ。

 

画像・この本は読んでません。顔画像が欲しかったのでお借りしました。>

 

私が始めて寺内タケシをテレビで見たのは、加山雄三の歌が流行り出して、そのバックで寺内タケシが演奏している姿だった。

 

今思えば「夜空の星」「蒼い星屑」は基本加山の作曲でも、アレンジは寺内だったと思う。凄い複雑なサウンドが聴けるからね。

 

その後ベートベンの「運命」とか三味線曲の津軽じょんがら節をエレキで弾いているのを見て、指先の高速回転に度肝を抜かれた。

 

今思えば何故ギターでじょんがらを弾いたのか分かる。母親譲りで母親対抗の意識が心底にあったのだろう。然し難曲ベートベンは

 

何でだろうと考えるとその理由が本書に書かれていた。

 

ギターリストのチェック・アトキンスが来日し、共演した時、その手の大きさにビックリして「これは敵わない」と思った。その手はタケシ

 

の倍近くあり、エド・山口もYOU TUBEで言っているが、「竹内さんはギター奏者の中でも手は小さかったと思う」それで速弾きを琢磨

 

したと言う。あの指であの速弾き演奏、聴いて恐るべしである。

 

ネックの幅なんかサイズ幾らか縮めて改造しているんかね。それでもあの弾き方は超人テリーならではだな。

 

それ以後タケシは国際的にテリー・寺内と呼ばれていたが、マシンガン・テリーと呼ばれるようになったとさ。

 

<この本はこれから読みます.続タケシ伝として——>

 

(注)以後交友関係中心に書きたいが今日はここまで——

後日改めてUPします。あしからず。