姫路城(白鷺城)と前橋城(厩橋城)の接点
一年半もコロナ禍で講演や展覧会等が余り開催されなかったので、ブログネタが枯渇した。そんな訳でもないが城郭の一つも残って
いない上州で御城印を集めると言うのも、長い間抵抗があった。
然し背に腹は変えられぬ。群馬に関係するなら何でもブログしてきた者には、ここは一つ戦国歴史を学ぶためにもお城に取り掛かろ
うかというタイミングになって来た。6月17日現在金山城、岩櫃城、
松井田城、厩橋城(前橋)、和田城(高崎)を揃えた。
幾々前橋城については一筆書くので、ここでは厩橋城から後に前橋城と言われた城と姫路城の繋がりについて書いてみたい。
—――日本で最初に世界遺産に登録されたお城が何故に上州の片田舎と関連を持つのか?徳川家康が江戸城に居て、らんらんと
その動きに眼を血走らせていた秀頼の大阪城の間に姫路城を建てた理由。やがて大阪城をぶっ潰す計画であったに相違ない。天
下分け目の関ヶ原の戦いで勝利した家康は四天王に上州(上野の国と言った)の領地を分け与えた。
前橋城は最初平岩某が藩主になったが、後に酒井某に亘り治世した。
然し何せこの城、暴れ川利根川が近くにあった為、要害の側面もあったが氾濫して、よく建物が流失した。後々には天守閣さえ川の
藻屑に変えた。
資金が枯渇したそんな折姫路城の藩主であった松平氏が夭折、跡目の城主になったのが朝矩(とものり)11歳であった。これでは城
が守れないと酒井氏に要請があり、最初は渋々であったが、播州平野は北関東平野より実りの多い土地柄だと分かると、あっさり
国替えを決意した。そんな前橋城と姫路城の接点があったのだ。
画像:中越典子ナビゲーター・中村梅雀ナレーターDVD>
画像テレビより::まるで白鷺が飛び立つ寸前のよう>
私は関西方面は学生の頃、修学旅行で奈良京都は行ったことがあるが、兵庫県と言うのはない。だから大阪城や姫路城もリアルで
見たことがない。戦国時代築城されて400年、長い風雪に耐えて、良くここまで建立していたものと驚嘆する。神戸地震にも米軍空襲
にもびくともせずに威風堂々と聳え立っていた。真白き大きな鷺は「オレオレ詐欺」を高みから見、世界遺産になって全世界の人々
が渇仰されるお城になった。昭和31年に8年かけて解体修理、平成に入ってからも5年余りの歳月をかけて修繕した。
画像テレビより:米軍が写して残していた写真>
空襲で姫路の町は10000発の砲火を浴び、60%以上焼失したにも関わらず、城は泰然とB29を睨みつけていた。米軍は法隆寺、伊
勢神宮、出雲大社等々宗教歴史建造物は破壊しない取り決めに従っていたが、残念ながら姫路城は非破壊建造物一覧にはなかっ
た。城の守り人は城に黒い網をかけてレーダーから逃れるよう細工したが、それが功を奏して爆弾不落下に結びついたのではなか
った。たまたま運よく爆弾飛来機は城の上に飛来しなかったのである。
画像地図>
「日本の城」ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト
香川玄太郎著 Gakken刊
明治に入ると無用の長物と化した日本全国170余りあった城は2つに分けられる。解体する城と民間に払い下げる城だった。姫路城
は当時25円余りで払い下げられた。然し買い取ったからと言って、あんな大きなものどうにでもなるものではない.軍が買い取り広
大な敷地を演習に使う。城郭だけは残っていたが草ボーボーの栄光見る影もない哀れさだった。それを見かねた一人の将校が政府
に修理・保存の嘆願をし、市民も巻き込んで姫路城は徐々に修正されていったとさ。はっきりとは言えないが、マァそんな風な市民運
動が姫路城再生に展開されていったとさ。(曖昧で済まん!)




