おデブッこ・芸能界個性派小林亜星を悼む

 

ケータイのニュースを見て吃驚した。数々のCMソングを作った作曲家・小林亜星氏が亡くなったと‥‥・。

 

見掛けからは想像もできない素晴らしいCMソングをテレビで止めどなく聞いた時代があった。あういう体形の人は繊細なんだなと、

 

小林亜星氏を知ってから考えを改めたりした。

 

‘60年代のレナウン・ワンサカ娘イエイエ、ブリジストンの♪どこまでも行こう♪は今でも口ずさむ。山道でガス欠した車を手押しする

 

若者たちの必死さが目に浮かぶ。70年代サントリー・オールド、日生のおばちゃん(生保勧誘)、

 

積水ハウスや酒の大関、ライオンシャンプーの振り向かないでは

 

お茶の間をこの歌で制圧した。そしてこの年代の極め付けが

 

日立のこの木なんの木傑作中の傑作!詩がいい、曲がいい。

 

オアフ島へ行った時、見逃したなモンキーポットの木。

 

でも似たような樹木はハワイには沢山あったな。

 

画像樹木/モンキーポット>

 

亜星氏「歌集・残照」より抜粋

  大きな樹 見上げて何故か 涙せん 

       あの少年の 日々に帰らぬ

 

あの体躯だから相当心臓や両足には負担がかかり、高齢になるほど動作は大変だったろうとお察しする。独特な語り口、時に毒

 

舌、ちょっとタカ派の発言、同世代野坂昭如、永六輔、小沢昭一当時中年御三家に負けず劣らず、戦後っ子の私には憧れのお兄さ

 

んたちであった。

 

小沢亡き後野坂・永・亜星で旗揚げした「世直し隊?」も我々には耳痛かったが、乱世にこういう昭和残党は重要であった。謹んで小

 

林亜星氏の御冥福をお祈り申し上げます。雲の上で先に行かれた御三家と地上に向かって吠え続けて下さい。

 

 

画像:亜星イラスト 一度もお会いしたことがないのに、親しみが持てるアーティストでした。不躾なタイトルをお許しください。それも亜星さんの人徳からのものです。>

 

アッ?先程流行ったCMソング、ヒット履歴の中で書き忘れましたが、明治チェルシーの歌、好きでしたね、古稀過ぎた爺でもたまに

 

「そうよチェルシーも一つチェルシー」なんて口づさんで家内に気味悪がられますよ。パッとサイデリアも明るく洒落が聞いて、

 

サイコーのCMソングですね。テレビ草創期から最盛期迄小林亜星氏のCMソング〈6000曲〉は大企業に相当の利益をもたらしました

 

ね。食品会社が多かったから皆亜星氏同様買わされて、太りましたね。後年亜星氏はスポンサーに踊らされて後悔している発言もし

 

ていますが、時代の趨勢で個人には流れは止める術はなかったと思われます。

 

CMソングと共に忘れられないのが北の宿から(都はるみ)、野に咲く花のように(ダカーポ)の歌も永久に不滅です。

 

 

画像チェルシー>

 

70年代でしたかテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の主演にも驚きましたね。リアルタイムではそう何回も見たわけではありませんが、

 

あのど素人丸出しの台詞言い回しが視聴者には新鮮だったのでしょうか。ランボーなプロデューサーの実験が功を奏して人気番組

 

になった。西城秀樹との親子喧嘩シーンに拍車がつき、度を過ぎて回を追うごとにエスカレート。悲劇が秀樹になる?あれっ?秀樹

 

が悲劇で骨折すると言うアクシデント発生。大宅壮一氏が恐れた白痴番組に賛否両論花が咲いた。向田邦子も久世プロデューサー

 

もよくやるよ。久世さんはやはり石井ふく子と言う大型プロデューサーに負けたくないライバル意識があったのかね。あの頃のテレビ

 

番組制作は皆食うや食わず寝ずに熱かったしな。ピンポンパン体操や秘密のアッコちゃんも亜星さんが作曲.何でもありの時代の

 

風雲児・小林亜星、88歳心不全、ついに倒れる、満身創痍で頑張ってくれてありがとう沢山の気軽に口ずさむCMソングをアリガト

 

!ここに私の好きな花はどこへ行ったをはなむけにお届けしたい。

 

 

画像花はどこへ行った>

『花はどこへ行った』は私が高校生の頃❓フォークソングブームがあって、ジョーン・バエズが歌っていた。それは彼女の歌(オリジナル)と思っていた。然しピート・シーガ―著『虹の民におくる歌』を読むと

この曲はショーロホフ「静かなるドン」の小説をヒントに1956年

「Where have all the flowers gone」として録音された。それからピーター、ポール&マリーやキングストーン・トリオが若干曲と詩を変えてレコード化しヒットした。然しピート・シーガ―はこの曲を著作権登録してなかった。今では作った本人以上に他のミュージシャンが歌って世界で愛される歌である。小林亜星氏に捧げる。