金村義明、顔は怖いが話は愉快

 

私のブログのネタは文化放送,邦丸ジャパンから寄る所が幾つかある。けど最近健康事情で出勤を自主規制している。その為昼休

 

みカーラジオでブログネタが採取できなくなった。

 

先月邦丸と金村のラジオトークが面白く、且つ’80年代のパリーグの選手をボロクソに言っていたので、腹抱えて聴いていた。その

 

時「80年代パリーグ 今だから言えるホントの話——笑えて熱くて強烈エピソード集」と言う本を紹介したので、新刊だと思って図書館

 

にリクエストして買って貰おうと思ったら、23年前に出た本だった。館員が手間かけて市外の図書館に当たってくれ数週間後、手

 

に取ることが出来た。そんな訳で金村元選手は在日のせいか?(本人が本で告白している)顔は怖いが話は面白い、コンプレックス

 

を生きる活力に変えて、成功した野球選手だと思う。―――金村義明は夏の甲子園優勝投手で鳴り物入りでドラフト一位近鉄バッフ

 

ァローズに入団した。

 

近鉄のスカウトには前年の巨人入り原辰徳同様契約金8000万円、

 

年俸800万円、200坪の土地もくれると言うことだった。

 

金村少年の夢は広がった。しかしこれが口約束でいざ入団して見ると契約金は5500万円、年俸400万円、土地を買うなら近鉄の不

 

動産を紹介してくれて、社員割引きでO.Kと言う悪徳、ケチぶりだったと言う。元々は阪急へ入るつもりで高校時代色々面倒見て貰

 

い、

 

阪急の主砲長池選手の豪邸にもお邪魔して、固く阪急入りを表明していたが、割り込んだ近鉄の甘言に見事騙された形になった。

 

結果近鉄阪急2球団の競うドラフトとなり、阪急に見放され近鉄が一番くじを引いた。しかし80年代の近鉄ホームグラウンド「藤井寺

 

球場」は酷い球場だったと言う。プロ野球の公式戦をやるにはお粗末至極だったとさ。ロッテ川崎球場,南海日生球場も輪にかけて

 

悪いビッグ3だったそうだ。セリーグの中日に移籍した時はホッとして野球に打ち込めると思ったそうだ?矢張りプロ野球の殿堂後楽

 

園巨人がいるセリーグは、毎試合閑古鳥が鳴くパリーグのグラウンドとはファン層も桁外れに違った。何せ関西のファンの野次は汚

 

くて、うるさくてしつっこい。私生活のことまでグズグズ罵る。客もいないから声がもろに伝わって来る。一度金村選手は腹立って観客

 

席まで行ってぶん殴ってしまったことがあったそうだ。そしたらこの客が仕返しに仲間を呼んできて、試合後金村選手を待ち伏せて

 

いたと言う。当時近鉄監督の仰木さんはそのことを知って金村を裏口から逃がしてくれたことがあったそうだ。それ以前から金村にと

 

って仰木監督は尊宗の対象で、色々世話になった恩人の一人である。

 

金村選手の生涯成績はなり物で入った割に平凡であったが、パンチパーマに金のネックレス、金のロレックスと言うヤクザキャラと

 

明るさが仲間内でも親しまれて、随分後輩の面倒見が良かったらしい。横浜高校の松坂大輔が入って来た時は西武に居て、松坂と

 

ウマが合っ食事もよくした。然しそれが東尾監督にはどうも面白く無くて、以後ウエスタンリーグに追いやられ、シーズン終りまで一軍

 

へ戻れなかった。結局引退の花道へ繋がったのだが、金村曰く男の焼きもちの被害者。

 

東尾は現役時代バッターにデッドボールをワザと当てる汚いピッチャーだった。近鉄デービスとのぶっつけた後の乱闘殴り合いは今

 

や語り草だ。デービスは薬物問題で帰国してしまったが、踏み込ませて打たせないために内角をえげつなく食い込んでくる投法は後

 

にも先にも東尾投手しかいない。80年代のパリーグ野球には一投一殺の侍がいっぱいいた。

 

画像・文化放送スタジオで吠える金村氏と邦丸氏>

 

仰木監督を父と崇めたその人の死は辛かった。心身両面で慕った野球人の最後は立派だった。仰木監督は「のむうつかう」を自で

 

やった遊び人で現役時代から寝ずに遊んでそのまま試合で出場するのが当たり前の時代の選手だった。だから遊び悪人金村と非

 

常にウマがあったと言う。仰木は金村を可愛がり、よく一緒に飲んで騒いだ。仰木監督の唯一の宝物、高倉健刻むロレックスを形見

 

に金村に上げた。

 

高倉は仰木と高校が一緒の同窓生、仰木監督の誕生日に高倉がプレゼントしてくれた。それを大事にしていたが金村が欲しいと言

 

っていたので、命の尽き果てる時間を知った仰木は金村にプレゼントしてくれたと言う。金村のことより仰木のことの方が話題が多

 

い、カネちゃん御免よ。紙面尽きたのでこれにてゲームセット!

セ・パ交流戦たけなわ。そこで一句「セに原は変えられる

パッといこうよ パッとね♪ セ・パ交流戦音頭振興会

――桜人 ㊤週刊ベースボール提供㊦野球帽図鑑

朝日新聞社刊➡19世紀アメリカでユニフォームと野球帽を被って試合出来るようになった。投手はキャップではなく、麦藁帽だったとさ。

走れば風で飛ぶし、長閑に野球やっていられなくなったので、ひさしが前だけの野球帽が登場した。60年代群馬の帽子屋では巨人だけしか

野球帽子は売ってなかった。関西でタイガースだけの野球帽しかなかったのと同じである。金村氏は近鉄、中日,西武と帽子を変えた。

金村氏の健康をお祈りします!