勘三郎〈18代〉の法界坊と野田版鼠小僧
平成中村屋 H14年一幕&二幕
鯉魚の一軸 勧進しながらその浄財で暮らしている悪行坊主
九年前57歳と言う若さで亡くなった中村勘三郎18世の芝居をDVDで鑑賞した。勘九郎と言う名で長く親しまれ、18代勘三郎に襲名さ
れてもコクーン芝居や野田秀樹の新劇と融合、あらゆる演劇の面白さ・楽しさを強欲に追求した歌舞伎人だった。然し余りにも昼夜
問わず八面六臂の活躍で休息も取れぬまま、病は無情にも勘三郎の身体を蝕んでいった。古い歌舞伎座が建て替え〈2010〉の為、
取り壊されると勘三郎の身体にも亀裂が生じて来た。因果なものである。最初はうつ病と診断され、翌年恒例になった人間ドッグに
入ると今度は食道がんと言われた。
—――今日ここに2つ紹介する演目はそのずっとずっと前、元気溌剌であった勘三郎の屈託ない演技である。一つは紐育〈ニューヨ
ーク〉公演でも絶賛を博した「法界坊」エロ坊主で金に飢えた乞食のような男である。浅草龍泉寺に釣鐘建立のお志を‥‥と民に声
をかけ、
その金で暮らしているいい玉のり玉な俗物。多分元々歌舞伎の演目ではなく
勘三郎と言うユーモアと温かみある個性を基に台本に書き上げた新歌舞伎物と言えた。本人がそれほど力を入れるほどの名作でも
ないし、登場人物に感心すると言う作品でもない。でも勘三郎この主人公を好んだ為か代表作になっている。次代〈19代〉の勘三郎
が法界坊をやって行くかは不透明である。
もう一つの野田版鼠小僧は江戸の義賊を扱っているだけに最後の方に来て、物語らしい男気を見せる。この世にいない筈になって
いる弟の子供が不憫でならない。自分も弟も浮気性の大岡越前も全て丸めて一件落着と思いきや、全てを暴露してしまう。
歌舞伎の演目と言うのは大体最後は悲劇で完結するので、見ていて後味が悪い。映画の世界でもヨーロッパ映画は子供時代見ると
大抵悲劇で終わった。生前家の親父の口癖はアメリカ映画はハッピーエンドでいいがフランス映画は悲劇で家路に打ち沈んで帰る
のが辛いとよく言っていた。江戸時代の庶民はこういった一連の悲劇完結ばかり見て、楽しかったのだろうか?庶民の生活は毎日
が苦しく侍に虐められ、辛い日の方が多かったように見受けられるが、他人の不幸は蜜の味、人の幸福は妬みの対象だったのだろ
うか?ストレス解消には悲劇の方がいいのかもしれない。人形浄瑠璃から歌舞伎に切り替えた曾根崎心中や商家のバカ息子が放
蕩でどうにもならないストーリーは江戸時代バカ受けした。非現実的だから面白いし事件をデフォルメして大げさに芝居にするので受
けたのかね。いずれにしても稀代の名優18代中村勘三郎の短い生涯と少ない作品を残念至極に思う次第である。
野田版 鼠小僧 平成15年 歌舞伎座公演 110分
台詞は七五調 リズムいい 婚礼と葬儀が一緒の籠


